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【1000文字小説】川沿いを歩く

 橋から川底まで、コンクリで両側は固められている。水の深さは大人のひざあたり。川岸には、種類の異なる草木があおあおと伸びている。
 梅雨が明けて、草木は絶好調らしい。
 水量が少ない川でも、川底に石があったり段になっているところは、流れが急になる。水音をたてて、勢いをつけていく。
 そこまで流れてくるときには音を立てず、24時間営業で穏やかに流れている。川底になにかあると、ここまでためていたものを一気に押し流す。

 たそがれの中を、彼女は大きなキャスター付きのスーツケースをひっぱりながら川沿いを歩いていた。
 ショルダーバッグの中の携帯電話が鳴る。
「今夜はコロッケが食べたいなあ」
 会社を出た夫からだった。
「うん」
 彼女は、否定も肯定もしない答え方をした。
「その前に、実家でお袋の煮物を食べるからさ」
「食べてくるのね」
「用意してるっていうから」
「うん」
 とだけ答えて、彼女は電話を切った。
 きっと夫は突然切れた電話に、なんだよ、と文句を言ってるだろうと思いながら。
 夫は、週に3日は実家で義母の夕ご飯を食べてくる。週に2回は会社の同僚と居酒屋に行く。
 二人の間に子どもは作らなかった。夫は、というか夫の両親は作りなさいと言われたが、彼女はこの夫との間に子どもが欲しいとは思わなかった。彼女の両親は、好きなようにしていいよと言ってくれた。

 立ち止まり、川を見下ろす。
 こうして眺めている水は、ほんとうはどんどん下流へと流れてしまっている。ただ彼女の目の前を通り過ぎていくだけで、水は立ち止まらない。
 彼女がみていようといまいと、水は流れていってしまう。
 水の意志はどうなんだろう、と、彼女は思う。
 とどまりたいのか、流れてどこかにいきたいのか。
 決まっている。
 どこかに行きたいのだ。
 たまった流れを一気に押し出して、どこか遠くに。
 
 この半年間、彼女は夫の知らない間に執筆の仕事をしてきた。はじめの1万円で宝くじを買ったら、1000万円が当選した。新しく銀行口座を作り、肌身離さず持ち歩いている。
 梅雨が明けた今日は行動した。
 朝、夫を会社へ送り出すと、市役所へ行ってから、大きなスーツケースを買ってきた。真っ赤なスーツケースを。
 ダイニングキッチンのテーブルの上に置いてある、彼女の名前が記入済の離婚届にいつ気がつくだろうか。

 携帯電話を川に投げようとして、やめた。
 その場に置いて、彼女は歩き出す。



※ この日 に構想していた小説です。
※「完」までの本文のみ(タイトル含まず)ぴったり1000文字の小説です。
※この物語はフィクションです。
実在の名称・団体・個人とは一切関係ありません。


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