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ジョルジョ・ヴァザーリとインプリマトゥーラ No.1

―「マ」なのか「ミ」なのか ―

○眠くなるような噺を一席。

 西洋絵画の古典的な技法として、絵を描く前にまずイエローオーカーやバーントシエナ、はたまたヴァインブラックと鉛白の混色による灰色等を、画面全体に塗布することがあり、これを英語では「インプリ[マ]トゥーラ(imprimatura)」と呼びます。

○レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci: 1452- 1519)の未完に終わった『東方三博士の礼拝(Adorazione dei Magi)』では、イエローオーカーによる黄色いインプリマトゥーラを見ることができます。

Leonardo da Vinci "Adorazione dei Magi" 1481, Galleria degli Uffizi, Firenze.

 しかしイタリア語では「マ」ではなく「インプリ[ミ]トゥーラ(imprimitura)」だというのです。「マ」なのか「ミ」なのか。

 他の言語を見てみますとドイツ語では「インプリ[ミ]トゥーア(Imprimitur)」なので「ミ」に一票。フランス語は「アンプリムール(imprimeure)」と我が道を行く。さすがフランス。

○絵画において「インプリ[マ]トゥーラ」という言葉をいち早く使ったのがイタリア人画家で建築家でもあったジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari: 1511- 1574)。

 彼の有名な著作に1550年に初版が出版された、文章、題名ともに長い『画家・彫刻家・建築家列伝(Le Vite delle più eccellenti pittori, scultori, e architettori)』があり、いわゆる『芸術家列伝』や『美術家列伝』と呼ばれるものです。

 この『芸術家列伝』はその名の通り、チマブーエ(Cimabue: c.1240- c.1302)を筆頭に、総勢133人もの芸術家について書いているのですが、その冒頭には先ずフィレンツェ「祖国の父」にしてルネサンス文化の庇護者コジモ・デ・メディチ(Cosimo di Giovanni de' Medici: 1389- 1464)への「献辞」が捧げられ、次に「総序(Proemio di tutta l'opera)」、そして三番目に技法書として読んでも楽しい序論「アレッツォの画家ジョルジョ・ヴァザーリ殿による、三つの造形芸術、すなわち建築、彫刻、絵画への序論(Introduzione di M.Giorgio Vasari, pittore aretino, alle tre arti del disegno cioè architettura, scultura e pittura)」があります。

 この三番目の序論における21章(版によっては「絵画への序論」と数えて7章)から油絵についての記述があり、その中に「インプリ[マ]トゥーラ」の語が出てくるのです。ヴァザーリはイタリア人なのに「ミ」ではなく「インプリ[マ]トゥーラ」を使ったのです。

○『芸術家列伝』は後世、何度か版を重ねるのですが、1759年に出された版の総序「22章(CAPITOLO XXII)」とあるページ最下部の小さな註「a」には、

  "…Ora si dice imprimitura."
 「[前略]…。今ではインプリミトゥーラと言う。」

とご指摘がしっかり入っています。

○なぜヴァザーリは間違ってしまったのか?
 辞書によれば、イタリア語の”imprimitura”は「刻印する」や「染付る」、「跡を残す」や「印刷する」等を意味する動詞「インプリメーレ(imprimere)」と、動作性のある名詞を作る接尾辞「トゥーラ(-tura)」から成り立っているそうです。

  imprimere+ tura→ imprimitura

 ちなみに、この接尾辞”-tura”は動詞の後に付く時、その前に来る動詞の形は基本、命令法二人称単数の「君(tu)」に対する形をとるようで、例えば、「削り取る行為」を意味する名詞「ラディトゥーラ(raditura)」は、「削る」を意味する動詞「ラデレ(radere)」の命令法二人称単数形「ラディ(radi)」が使われます。

 そのためイタリア語では、「インプリメーレ(imprimere)」の命令法二人称単数形は「インプリミ(imprimi)」であるため「インプリ[ミ]トゥーラ(imprim[i]tura)」が正しい、という理屈になるのです。

 例に挙げた動詞”radere”や”imprimere”は語尾が”-ere”で終わっていますが、イタリア語の多くの動詞は”-are”が語尾に来ます。そして、この「-are動詞」の命令法二人称単数形は”-a”で終わるのです。例えば「歌う」を意味する「カンターレ(cantare)」であれば「カンタ(canta)」というように。

 つまり、ヴァザーリは日常生活で使用頻度の高い、語尾が”-a”で終わる「-are動詞」の命令法二人称単数形につられて「インプリ[マ]トゥーラ(imprim[a]tura)」と書いてしまった、と言えるでしょう。

 さらに拍車をかけるかのように、イタリア語には「インプリマトゥール(imprimatur)」なる言葉があります。これは主にカトリック教会が出版に際して与える「許可」の意味で使われる名詞で、”imprimere”の語源であるラテン語の動詞「インプリモ―(imprimō)」の接続法受動態現在三人称単数形「インプリマートゥル(imprimātur)」が基になってできたもので、「インプリ[マ]トゥーラ」とはかなり似た綴りであり、違いといえば語末に”a”があるかないかだけです。

 ヴァザーリが生きた当時は、ニッコロ・マキャヴェリ(Niccolò Machiavelli: 1469- 1527)の『君主論(Il Principe)』がカトリック教会の「禁書目録」に入れられるような時代であり、『芸術家列伝』を書いたヴァザーリにとっても「出版許可(imprimatur)」は身近な言葉であったと言えるでしょう。

 真偽の程は定かではありませんが、このように見てみるとヴァザーリが「マ」と「ミ」を取り違えても仕方のないことです。

 しかし、本当にヴァザーリはただ単に間違えただけなのか?
 もし単なる間違いだとしたら、「インプリ[マ]トゥーラ(imprimatura)」を堂々と『The Oxford Dictionary of Art and Artists』に載せている英語の立場はどうなってしまうのでしょうか?

 その辺につきまして思う所は御座いますが、それは続きで書きたいと思います。


内野
燕画塾 講師
○トップ写真:Jacopo Zucchi "Ritratto di Giorgio Vasari"
 1571-1574, Galleria degli Uffizi, Firenze.
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