いなくなればいいと思ったあのこは、三日後の夜に死んだ。
「なんかさ。Mちゃんに、家に遊びにおいでって誘われたんだよね」
彼氏が口にしたのは、私と彼氏共通の、女友達の名前だった。
カッと体が熱くなった。
寂しいなら、私を呼べばいいのに。
せめて、私と彼氏と2人を誘えばいい。
なぜ彼氏だけを誘うの。
Mちゃんは、精神の病を患っている女性だった。
旦那さんは仕事が忙しく、家にあまりいない。
もともと寂しがり屋だったうえに、病気の状態が悪化していた彼女に呼ばれて、私は当時そのマンションによく遊びに行っていた。
私は18歳で、はじめて付き合った彼氏は24歳。Mちゃんは26歳だった。
ただでさえ年上の彼氏に自分が釣り合っていないという不安を抱えていたところに、Mちゃんという年上の女性が彼氏の側にいることが恐かった。
「家に誘われた」
彼氏の言葉は、私の恐怖がそのまま形になったようで、怒りと嫉妬で目の前が暗くなった。
死ねばいい。あんな女、死ねばいい。
確かにそう思った。私は、Mちゃんの死を願った。
黙り込んだ私に彼氏は、「もちろん断ったし、なにもないんだけど。イチコに言わないのも不誠実な気がして…」ともごもごと言い訳めいたことを口にした。
◇◇◇
どす黒い感情に心まで焼き尽くされそうになったけれど、私はMちゃんに何も言わなかった。
メールも、電話もしない。
ただ、もう彼女の「寂しい」に付き合うのはやめようと決心した。
次に向こうから連絡が来ても、お断りしよう。自分の心を守るために。
不思議と、そう決心した途端に毎日のように来ていたMちゃんからの連絡が来なくなった。
3日後の夜。
私はたまたまMちゃんのマンション前を通った。
いつもはMちゃんの家に遊びに行くとき以外、使うことのない道なのに。
マンションの前には救急車が止まっていて、私はそのすぐ横を自転車で通り過ぎた。
「なんだろう。Mちゃんに会ったら聞いてみよう。あ、でももう連絡しないって決めたんだ」そんなことを考えていた。
数時間後、救急車に乗っていたのはMちゃんとその旦那さんだったことを知る。
◇◇◇
深夜に彼氏の携帯が鳴って、それに答える彼氏の顔がどんどん曇っていった。私はなんとなく数時間前に見た救急車を思い出して、「Mちゃんが死んだ」と確信した。
「Mちゃんが亡くなった」
電話を切った彼は、信じられないという顔で狼狽えていた。
知っていた。私が殺した。すくなくとも、私は彼女を殺したうちの1人だ。そう思った。
◇◇◇
冷たくなったMちゃんの横で、旦那さんは泣いていた。
いつも通っていたマンションの一室。ど真ん中にある、白い布団と祭壇が見慣れなかった。
帰宅して、Mが寝てると思って普段通りに過ごしていた
寝支度を終えて隣に横になり、彼女が冷たくなっていることに気づいた
最近眠れないからと薬の量を自己判断で増やしていて
加減がわからなくなっていって、ついに
やめろと言っていたのに、なんでこんなことに
抑えられていた声に徐々に嗚咽が交じり、最後は悲痛な叫びにかわった。
誰も口にはしなかったけど、その場にいる多くの人の頭に「ゆるやかな自殺」という言葉があったと思う。
若い人の遺体、というのはどこか作り物めいていて、冷たくなった彼女を見てもまだ死の実感はわかなかった。
◇◇◇
高校中退後で制服を持っていなかった私は、ただ黒いという理由で、持っていたユニクロのジャケットとスカートを着て通夜に参加した。
ペラペラの服を着た10代の私は、どう考えても葬儀場に不釣りあいだった。
香典は、周囲の大人たちがいろいろ配慮してくれたんだろう。彼女の馴染みだった喫茶店の店主と常連客の連名にいれてもらった。
なにもかもが、お芝居のようだった。
弔辞を読むはずの友人が開始時間の数分前になっても現れず、Mちゃんの旦那さんが私に代役を依頼してきた(結局、当初予定していた友人が間に合ったのでやらずに済んだ)。
焼香のあげかたもわからず、前の大人がやってることをただ真似た。
喪主は旦那さんだと思っていたら、なぜか旦那さんの会社の社長という人が出てきて挨拶をはじめた。その男は、Mちゃんの名前を読み間違え、隣に立つ旦那さんに耳元で訂正され顔を赤らめていた。
喪主がMちゃんとほぼ面識すらないだろうことは、明らかだった。
なんなんだよ、これは。
彼女の死を悼む気がない奴は、ここにいちゃいけないだろう。
「死ね」と願った私だって、いちゃいけないんだ。
私は悔しくて泣いていた。こんな風に人生が終わるなんて、あんまりだ。
Mちゃんに花を手向け、棺桶を閉じる時間となった。
花を手向けるときは積極的に動いていた大人たちは、棺桶に釘を打つための石は握りたがらなかった。
私は前に出て、その石でMちゃんの棺に釘を打ち込んだ。
私が彼女を殺した。絶対に、一生、忘れない。
自分の心にも釘を打つように、Mちゃんの棺に2回、石を打ちつけた。
ガン、ガン、という衝撃が体に響き、手には冷たい感触が残った。
◇◇◇
帰り際、Mちゃんのお母さんに呼びとめられた。
女手一つで、Mちゃんとその妹を育てたお母さん。
以前から数回会ったことがあって、「イチコちゃんはスレてそうでいて、実はとても真直ぐなところが素敵ね。そのまま大人になってほしい」と言ってくれた人だった。
Mちゃんのお母さんは私の手を取って、「Mと仲良くしてくれてありがとう。親より先に死んじゃダメよ」と涙を零しながら微笑んだ。
言葉が喉で詰まって、ただその手を握り返して頷くことしかできなかった。
◇◇◇
Mちゃんの旦那さんだった人は、1年後に他の女性と再婚した。
それでいい。残された人は、生きていかなきゃいけない。
心が潰れてしまうほどの悲しみを味わった彼が今、なるべく穏やかな人生を送っているよう願っている。
「死ねばいい」と思うきっかけになった彼氏とはとっくに別れたし、Mちゃんと出会った喫茶店も潰れた。
一年の半分が雪で埋もれるあの街からも、私は離れてしまった。
それでも私は、覚えている。
「死ねばいい」と願った自分を
彼女を愛した人の、悲痛な叫びを
彼女の棺に、この手で釘を打ち込んだことを
彼女の母の、涙と言葉を
ふと立ちどまり、後ろを振りかえってみる。
私の歩んでいる道は、救急車の止まっていた彼女のマンションから、きちんと今も繋がっている。
お読み頂き、ありがとうございました。 読んでくれる方がいるだけで、めっちゃ嬉しいです!