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脱穀作業で脳内も脱穀した話/石井

先日京都は綾部市に行ってきました。
緑が豊かで山に囲まれているんだけども、土地が開けているので、山奥という感じはなくて、ザ・里山。森の京都と呼ばれているそうです。

元々は長年の知り合いが移住したので、ずっと行ってみたかったのだけど、その知り合いはなんと不在中。それでも何故か惹かれるものがあり行ってきました。

農業体験に参加したのですが、体験というレベルではなかった(昔ながらの脱穀機を使っての作業で、つまりまぁまぁの労働)…と思ったけど、よくよく考えてみれば、年間通して、田植え、稲刈り、田起こし等様々な作業工程がある中の、お膳立てしてもらって、オイシイ一部分だけ作業して、やった気分になれるのだから、十分に「体験」だったと思います。

そんな中で、イギリスや台湾の方も参加したりしていて、地元の方々も混ざって、正に「同じ釜の飯」を食べて、喋って、秋の空の下で交流してきました。

とくにイギリスの小説家ベスさんは、年齢も近く、取材旅行中との事でたくさん話をしました。「こころ」について質問されて、考えあぐねましたが、結局上手く説明できずに終わりました。
(あ、安心してください、会話は全て日本語です)

そして、20代にアジアをちょろっと旅した事が思い出されて、懐かしい感覚にもなりました。宿泊先のクチュール里山さんも、バックパッカーをされていた事もあり、話は尽きませんでした。

本当に楽しかった。そして、あぁ、子どもが生まれる前は、私はもっと自由だったのにな、とも思いました。
だからといって、もちろん文句ではありません。子ども達は十分にかわいいし、楽しませてもらっています。

だけど、これからは、ギアチェンジして、またあちこち行こうと思えた、綾部旅なのでした。

やっぱり、新しい出会いは刺激があります。思考のクセをリセットできる瞬間が時々あり、脳に新しい酸素が入る感覚。

風通しを良くしておかないと、カビてしまうので、思考がカビないように、色んな人に出会うそんな旅を重ねて行きたいと思ったのでした。


クチュール里山にて

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