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中川雄三「カワセミの四季」カワセミ そして蓮池との出会い

「KINGFISHER カワセミの四季」は、1996年に平凡社から出版された、動物写真家・中川雄三さんの写真集です。

昨今では都市部にある公園の池や河川でも見られるようになったカワセミ。あまり鳥に詳しくない人も、名前は知らなくても写真でその姿を見た事があるかと思います。「KINGFISHER カワセミの四季」は、カワセミの暮らしぶりを四季を通じて感じることができる写真集です。

現在は絶版となっていますが、今回、著者の中川雄三さんのご厚意により、「ネイチャーフィールドnote」にてWEB用に再編集し、公開することとなりました。

季節にあわせた写真を数回にわけ紹介していきます。カワセミと共に、四季を感じましょう。どうぞ、お楽しみください。

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▲蓮の花にとまるカワセミ
カメラ(キヤノンニューF1)レンズ(400mmF4.5)絞り(f5.6)シャッター速度(1/250秒)フィルム(KR)

カワセミとの出会い

カワセミが幻の鳥と呼ばれていた頃から、もうずいぶんとたつ。今ではそれが嘘だったかのように、各所で、それも都市部で多くの姿が見られるようになった。

そもそもカワセミとは日本の鳥には似つかわしくないほどの派手な容姿をしている。おまけに飛んでくるときには、「チィー」と大きなかん高い声で鳴きながらやってくるものだから、目立ってしょうがない。もともと水辺では当たり前に見られた鳥なのだ。

ただし餌の小魚や繁殖用の土手、隠れ家となる藪など、水辺のすべての自然環境がそろわねば存続できない、水辺の豊かな自然に育まれてきた生き物でもある。

しかし、そんなカワセミでさえ、スズメやカラスのように万人に知られた鳥とはいいがたい。動きが素早いうえに、その色彩も逆光では色失せて、風景に溶け込んでしまうからである。

かく言う私も、田舎育ちで水辺にはたっぷりと親しんできた口なのだが、不思議にも大人になるまでカワセミを見た記憶はない。

初めてカワセミを知ったのは、学生時代に見た写真集、嶋田忠氏の『カワセミ』だった。日本にもこんな派手な鳥が住んでいて、それが各地で減少していることを初めてくわしく知り、いつか本物をこの目でも見てみたいものだと思っていた。

大学を卒業して富士山麓の養鱒場に勤めた私に、思わぬ出会いが待ちかまえていた。毎日が複数のカワセミとの遭遇の連続だったのだ。しかも、ここではカワセミは害獣扱いにされるほど、多くが居着いていたのである。

養鱒場に通ってくるカワセミたちは、毎日人と顔を突き合わせているから、じつに間近で見ることができた。それも一番感動的な捕食の瞬間をである。ヒナの巣立ちの時期などは、一度に10羽近くのカワセミの集団ができるほどだ。

仕事に専念する職場の同僚や先輩を気にしながらも、私の頭の中は、すぐに彼らのことでいっぱいになってしまった。こうしてわずか1ヵ月ほどの間に、私の人生を変えることになるカワセミとの深いつきあいが始まったのである。

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▲枯れた蓮にとまるカワセミ
カメラ(キヤノンニューF1)レンズ(800mmF5.6)絞り(f5.6) シャッター速度(1/250秒)フィルム(KR)

蓮池「明見湖」との出会い

先輩のカメラを借り、一日中空き時間にはカワセミを追いかけて回ったが、いざ撮影となると、彼らも警戒してなかなか近寄らせてはくれない。案の定、あっという間に、画面では点にしか見えないカワセミの写真でいっぱいである。

それならば機材に金をかければと、清水の舞台から飛び降りるつもりで、生まれて初めての一眼レフカメラと300mmの望遠レンズを購入したのだが、満足のできる写真が撮れるようになったのは、それから随分と時間がたってからである。

何よりも、写真に写った養鱒場の人為的なコンクリート壁とカワセミとが、不似合いに思えてならなかった。

ようやく私の目が養鱒場の外にも向けられることになる。幾度となくカワセミの後を追いかけてみるのだが、すぐに行方を見失ってしまう。いったいカワセミたちはどこからやってくるのだろう。私の疑問が解消されるときがきたのは、翌春だった。

いつもは、てんでにやってくるカワセミの中の1羽が、頻繁に同じ方向に飛び去るのに気がついた。餌を運んでいるようである。まるで導かれるように少しずつ後をたどると、とうとう山の小さなトンネルに行き着いたのである。

車のやっと通れる、手掘りのトンネルをくぐり抜けると、不意にきらめく湖面が現れた。カワセミとの出会い以上に衝撃的だったのがこの小さな湖、明見湖との出会いであった。

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▲美しい蓮池が広がる明見湖(あすみこ)
カメラ(キヤノンニューF1)レンズ(35~70mmF4)絞り(f8) シャッター速度(1/250秒)フィルム(KR)

まるで数十年も後戻りしたような、のどかな里山の光景が目の前に広がり、私はいっぺんでこの場所に心酔してしまった。

翌日からは、朝に夕に湖通いが始まることになる。

明見湖は通称「蓮池」と呼ばれる小さな池で、地元では有名な釣り池であった。休日には大勢の釣り人や水遊びの子どもたちが訪れ、そのなかには当然カワセミたちの姿もあった。

人の憩いの傍で舞うカワセミの姿

ひっそりとたたずんだ平日の蓮池も良かったが、私には、人のにぎわうなか、平然と過ごしているカワセミたちの姿を目にすることのほうが、愉快で楽しくてならなかった。

釣りに興じる人びとが、いかにカワセミたちに無関心かもよくわかった。子どもたちにしても同様である。自分の手の届く範囲の物には関心を持っても、それ以外のものについては関心が持てないのだろう。いや、それ以上に自分の楽しみに夢中なだけかもしれない。

子供の頃、あれだけ鳥を捕まえては食ったり飼ったりした私が、カワセミの存在に気がつかなかったのもうなずける気がした。知らなければ見えないのである。その証拠に、いったん目にしてみると、海から山までたいていの場所でカワセミの姿が目に映るのだ。それは20年ぶりに訪れたふる里の山河でも同じだった。

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▲蓮池にかかる虹
カメラ(キヤノンニューF1)レンズ(24mmF2.8)絞り(f4) シャッター速度(1/30秒)フィルム(KR)

気づかないうちに消えてゆく自然

初めて蓮池を訪れてから16年が過ぎた。その間私にとっても、多くのできごとが起こった。私は仕事を変え結婚をし、蓮池から多くのことを学んだのだが、蓮池の周囲も大きくさま変わりした。

山は削られ、道路はアスファルトに舗装され、川はコンクリートで固められ、今も私のまわりから日に日に自然が失われていく。カワセミや蓮池との出会いを通して私の自然観は大きく変わり、里山の当たり前の自然がいかに大切で奥深いかを、身をもって思い知らされた気がする。

カワセミの乱舞する、あの桃源郷のようであった蓮池も、今では瀕死寸前のどぶ池へと変わりつつあり、多くの生き物たちが姿を消し、訪れる人もまばらである。

一方、都市部では地方とは反対に自然環境の再生が考えられ、徐々にではあるが生き物たちでにぎわい始めている。何とも歯がゆい現状である。

豊かな自然に恵まれている間には、そのありがたさに気づきにくいのかもしれない。しかし、すべてを失ってからその大切さに気づくのでは、あまりにも愚かである。

身近な自然の消滅を、私たちの明日への警鐘として、謙虚に受けとめたいものである。

水辺の自然のバロメーターともいえるカワセミたちを、再び幻の鳥にはさせたくない。(中川雄三/KINGFISHER カワセミの四季(1996)/平凡社 「カワセミそして蓮池との出会い」 より)

▲明見湖
中川雄三(なかがわ・ゆうぞう)
1956年山口県美祢市生まれ。自然写真家。1980年に日本大学農獣医学部水産学科卒業後、山梨県富士吉田市に移り住み、富士山周辺の身近なあらゆる自然をテーマに写真を撮り続ける。1987年に動物雑誌「アニマ」にてヒメネズミの組写真でアニマ賞を受賞。
人と野生動物との架け橋となるべく、観察会や講演会などで啓蒙活動を続け、自然保護運動にも力を注いでいる。

主な著書は「富士山麓の仲間たち」(ぎょうせい)、カワセミの四季(平凡社)、まちのコウモリ(ポプラ社)、たくさんのふしぎ「水辺の番人 カワウ」(福音館書店)、他。映像ではNHK「ダーウィンが来た!~高速道路に5000羽!?サギ大集結」、NHK「ワイルドライフ~東南アジア タイ 初密着! 巨大ヤモリ ヘビと闘う」など。

NPO法人「富士山クラブ」前理事、「富士山エコネット」理事や、環境省・自然公園指導員、山梨県・環境アドバイザー(現エコティーチャー)、日本野鳥の会・富士山麓支部副支部長、コウモリの会・評議員なども務める。
中川雄三の個人Webサイトはこちら

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