正しい思いやり。
「え、まじか」
前回の記事①と②を読んだうちの旦那様からお伺いをたてられたのでその話を後日談として記したいと思う。(※後日談)
『うちの会社の社員教育でもあったんだけど……これ。
嫁ちゃんの言ってる通りの内容で……会社の間違いだね、あれ』
との事。
は?私の言ってる内容で?どういう意味??
聞くと
「世の中にはアンコンシャスバイアスという言葉があって、例えば、簡単な事でいうと、女性社員だからってお茶汲みさせないようにしましょう、とかそういうやつ」
そりゃジェンダーの問題やがなwwとなりまして。(思い通りの誤用案件w)
当たり前ですけど「性別で判断するのは宜しくないですよね」が社会的には既にあり、でもそれはジェンダーの問題であって、アンコンシャスバイアスではない。というよりも、もうそれは!社会的に性差で物いうのはいかがなものかという問題が既にあっての一般常識になっているので
一般常識知ってるか知らないかは、ただの無知なだけで……無意識での問題とは呼ばないだろぉお!と、やっぱり会社で『何が言いたかったんや』『ありゃなんの教育なんや』となった模様。それはそうなるw
基本的な問題
無意識という物が自我そのものである、と考えた時、それが良いとか悪いとかいう話ではない。だってそれがその人だから。個々の違いを示す時、環境やトラウマ、好きなもの、嫌いなもの、それらは全て違い、むしろだからこそ、この人とこの人は別の人、と認識(区別)できるので
それが悪いわけではない。むしろ、あって然るべき。
教育する、となると、これは良いです、これは悪いです、とそれこそどちらかにバイアスがかかる、この大まかな部分が日本では間違って使われているよ!と書いたのが「②」
(※国は性差による意識調査を行った、その「なんとなく」で答えている部分をアンコンシャスバイアスと銘打ったが、アンコンシャスとは完全に無意識を指すので、それは意識調査。無意識というのは、後から気づいたらいつも左から靴に足を通している等の結果からしか導けないものが完全無意識。
ここに"性差"が入る時点でこれはジェンダーの分野であり、そう思うか/思わないか、とした部分はただの誘導尋問であって、その間違いを指摘されたところ、国は「間違えてました」と認めたが、話だけが一人歩きをしています、それがバンドワゴン効果!としたのが①
①には、7項目の解説をあげております。)
お互い(個々)の違いにより、起きてきてしまう良かれと思ってした事が招く状態も「①」に記載。
あってよいかどうかの話ではなく、各々が持っているものがアンコンシャスバイアスであり、全てにおいて"行き過ぎる"と、有難迷惑だったり、余計なお世話だったりする、ここが慈悲的差別を招く部分。
という説明をした。ら。
ベスト質問!MVP
ここで旦那様、とても良いご質問をくれる。
『……って事は、これは良いとか悪いとか頭にもない状態で、自分がこれで"よい"とした事が、後から考えたり相手が受け取ったりした時に"それは違うだろ"となって……その間にあるのがアンコンシャスバイアスって事?』
そう!お前はえぇ子やぁ!そういう事やぁ!(なでなで)
であった。無意識があって、良いも悪いもないんである。ただのいち意見。
教育するなら『それぞれに違いがあります』であり、これは良いです悪いです等と決まった型がないのに教えられないでしょおがぁ!と田中邦衛なら言うはず。(語尾、北の国からw)
"これがあなたの為である"とする事や、"これを知らないなんて人生損してる"等は、慈悲的差別。だって、本人は無意識下の確証バイアスで物を投げ、でもそれはあなたの意見だ、という部分が行き過ぎている。
その個人的な「よかれと思い」が行き過ぎた場合は差別になる、という事。
あ。わかりやすい例がショート動画にあったので、あげとくね♡
石原慎太郎さんの政治的な在り方等は別として、私はこの方のこういう繊細な部分に気がついて意見を投げられる姿勢は好きだ。
朝日新聞の記者が生まれた時から目の見えない方に、もし目が見えたら何を見たいかと聞いた。見える見えないは区別として、だけど、この尋ね方であると見えないのは"大変"で、人生は損してる、に響く。こういう質問自体がその人自身を傷つける。こういう部分がアンコンシャスバイアスの慈悲的差別となる部分。どのように生きても命の価値は同じであり、人としての質などにはかかわりがない。命は平等にあるものなので。
「あなたは太っていますが痩せたら何がしたいですか?」
というのも、慈悲的差別。なぜなら、痩せてる方がよいと思ってるのは、社会や聞いた側の意見であって、ご本人が痩せたいともなんとも思っていない、もしくは病気によりそうなっている状況でそれを聞いてしまう事はとても失礼であり、あなたは太っていますよ、という事をわざわざに提示して見えない部分で相手を傷つける。別にそれでもよくねぇの?お前は医者かよwで終わりそうなくだらなさがある。※ご本人が痩せたいのですがどうしたらいいですか?とした場合の、イメージを持たせてあげる事は必要。
そういう聞き手のアンコンシャスバイアスが人を傷つけてしまうのが、アンコンシャスバイアスにおける慈悲的差別、というもの。上から目線、優勢思想、その方が優れてるとでも思ってんのかよ、が見える場合は特に注意が必要。(だから、主体性をもった上で客観性も必要ですよ、と言っているのが記事の①になります。)
有難迷惑と大きなお世話
「この味を知らないなんて君は人生損してるよ」
この台詞を言われた相手がもし、心からそれを口にしたくても口にできない食物アレルギーがあった場合
①それを言った相手の事を大好きで、認められたい場合は後先考えずに食べて死に至るかもしれない
②アレルギーがあったら人生は損していると人格否定と生きる事を否定されたような気分に陥るかもしれない
③お前の人生と私の人生は違うのに知ったように上から物いってんじゃねぇわ、この差別主義者!と思いもよらず、話がこじれるかもしれない
④どうでもえぇわ、あほちゃうか、と無視されて流されるかもしれない
こうした部分にあるのがアンコンシャスバイアスであり、この状況で言い返す人は少ないであろうから、延々あいつはああいう余計な事をいってくる奴だからと恨まれて、後のコミュニケーションの機会も設けられずに終わっていく関係性……が多々ありますよ、なんですねぃ。。
早い話が「お前はお前の人生を生きろ、私は私で生きるから。余計な事を言ってきてんじゃねぇよ」に発生するのが、個々にあるアンコンシャスバイアスで、線超えてきたら"お前のそれは差別的。区別超えてきてるから"となりますよ、という話。ここに性別、関係ないです。
まぁ、誰でも、わかったように言われるのは宜しくない。
あって然るべきでもそれを振り回してんじゃねぇぞ!の部分。
『あーなるほどねぇ。。てか、そこを国が間違えたからかぁ。。。』と旦那様。そう。だから②を書かざるを得なかった!
「思いやりは必要だし、何をどれくらい出来るかなんて、やっぱり、自分の中の善に従うしかできない事だから……結局は、これは必要?不必要?は相手に聞いて、それをして欲しいです!ならお手伝いしますよ、だし、どう思いますか?と聞かれたら、前置きには必ず(個人的には)や(私なら)は付け加えて、でもそれをそうできない人もいるのだな、くらいでやってかないと
(こうだからこうでこうすべきだ!)はできない人もいる中で、それは事情をくむと差別になる事もあるよねって話だから……。
思いやるのをやめましょう、ではなくて、思いやることは必要でも、それは自分だけの意見となっていませんか?ってところを見誤るなってことなんだろうねぇ」
『聞いといてよかったわ。結局、なんかその話って、人の事を考えないように!思いやりも必要ない!みたいに聞こえてきてたから』
いや、そうなるんだよなぁ……。誰かを思いやるとしても、個々の善が違う限り、そこは行き過ぎると"有難迷惑"でもあり"大きなお世話"!
人を思いやる正しい方法で、思いやりの意識を持ちましょう、じゃないとね。なんか、すっげ余計な社員教育が行われている状況なので、誤用はよくないよ、としたのが①と②です。
どうぞ皆様、楽しく気持ちの良いコミュニケーションを!
追記
関係ないですけども、私は普段なにをやっているんだ、と言われる事が多いのでここにぶち込んでおきますね!
①パートで出版社▶主に経済を取り扱っています。
②個人ではカウンセラー▶発達障害の問題や、その他も伺っています。
③一応、遺品整理士▶地区統括会員でもあります。グリーフケアも扱えるので個人的には網羅できます。
④書評家▶パートとは別の企業様と提携組んでいます。(会社員?私もわかんないw)
➄コラムニスト▶自分でも書きます。
次にしたい事。
来年は映画に手を出したい。(まだやんのかよww)
以上です。今年は流されるように生きましたが、今後も頑張ります!!