いま、永田町で起きていること 〜鏡よ鏡、日本でいちばん可哀想なのはだれ?問題〜
遅くなりましたが、皆さま明けましておめでとうございます。昨年は「見習い」を脱し、SNSで書いたことを皆さまに読んでいただいたり、少しづつ形になっていけそうな一年でした。恒例のインタビュー形式で、永田町の今をご報告したいと思います。
---今、どんな仕事をしているんですか?
永田町と霞ヶ関やメディアをつなぐ「フリーランスのメディア政策秘書」という肩書きで、政界分析、政策提案や論点整理など、”おまつり”の裏方仕事をしています。
---「おまつり」ってなんですか?
社会には、いろいろな「椅子(社会的な役割、肩書き、役職、居場所の比喩)」があります。長い間同じ椅子に座っている方が多いと、日本全体が世界のさまざまな動きについていけなかったり、どの椅子にも座れなくて困る人が出てきます。数年に一度、永田町から「おまつりのお囃子」がやってきて、社会全体の世代交代や、組織の新陳代謝を促すのです(*1)。選挙もその一つですね。
---ひょっとして、ちょっと怖い人ですか…?
そんなことないですよ(気になる方はこちらをどうぞ)!「おまつり」、もっと言うと、日本の政治哲学の根底に流れるものは、「弱者救済」「人生の帳尻合わせ」です。「経済成長の恩恵に預かっている人から富を分けてもらい、経済成長から取り残される人に分配する」(*2)というのが、古き良き自民党政治の伝統…でした。
---「伝統…でした」って、なぜ、過去形なのですか?
2022年のいま、「いちばん恵まれている人」と「いちばん可哀想な人」を決めるのがとても難しいからです。どのような価値基準に基づいて、誰が決めるのか、という問題ですね(*3)。また、恵まれている人から富を剥ぎ取ったところで、もはや日本全体で見れば誰も幸せにならないことに、皆さん気付きつつあるのではないでしょうか(*4)。恵まれている自覚がある方は、寄付や後進支援など、一人ひとりが「帳尻を合わせて」日本全体への投資をしていける社会になるといいですよね。
---「帳尻を合わせる」?
はい。いちばん大切なことは、これまでの為政者の方が過去を省みることですね。若者や非正規雇用の方の手取りが増えない(言い換えれば、社会保障費に歯止めがかけられない)、子どもを産み育て辛いなど、日本が抱えるさまざまな問題の原因は、硬直化した政治と統治機構にあると思います。2022年の倫理観に照らし合わせて、その手に余る仕事の責任は手放し、だれかの”新しい仕事”を産み出していただきたいなと願っています(*5)。
虚勢を張らずに、自らの”あやまり”を認めること。
一見バツの悪いその営みを、わたしたちはもはや糾弾することはないでしょう。
その決断は、新しい日本の、新しい日の出になるはずだからです。
「日本に寄付文化を」にご共感いただけましたら、サポートのほどよろしくお願いします🙇♀️💦