「みんなのおいしいごはん」のために
こんにちは。海石榴です。
さて、はじめに「わたしとあなたで、みんなを語る」目的をはっきりさせておきましょうか。目的のないおしゃべりは楽しいものですが、みなさんそこまでヒマではありませんからね。
「おカネじゃない」から「めんどくさい」
PTAやボランティア活動など、「みんな」にかかわることは、とかく「めんどくさい」ものです。新米パパやママの「ベルマーク活動って会社休んでまでやる必要ある?」という心のつぶやきは、「おカネじゃない一体感が得られる」という声にかき消されがちです。そんなときは「どちらが正しいか」ではなく、「なんのために」を考えてみるといいかもしれません。
すべては「みんなのおいしいごはん」のために
わたしたちは、なんのために「みんな」を語り、「みんな」にかかわるのでしょうか。それは「みんなのおいしいごはん」のためだとわたしは考えます。憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」と言い換えてもいいでしょう。
もうすこし具体的なイメージでお話してみましょうか。
わたしは、平日の夕方、保育園に子どもたちを迎えにいきます。いつものように隣の公園でお友だちたちと遊ばせていると、あるパパ友の元に「お弁当買ったからそろそろ切り上げて」と指令が入ります。それを察知した別のママが、ブランコをこぐ2人に「あと10数えたら帰ろうねー」と声をかける。グズる子には「きょうのごはんはなにかなー?楽しみだねぇ」。パパが「ママ待ってるから急いで帰るよ」とたくましい腕で子どもを抱き上げ、数台のママチャリがいっせいに動き出す。みんなの、みんなによる、みんなのための、あざやかな連携プレー。
「みんな」とはだれのこと?
いいないいな、にんげんていいな。あったかいごはんにポカポカおふろ。
あなたは毎日、「おいしいごはん」を楽しんでいますか?
あなたの周囲に、「おいしいごはん」が楽しめていない様子の人はいませんか?
もちろん、公園の帰り道の「みんな」と、わたしたちが語るべき「みんな」はちがいます。どこがどうちがうのでしょうか?
-----人数?
そうですね、わたしたちが語るべき「みんな」の人数はだいぶ多そうです。
-----「みんな」のなかに優先順位とかはあるんですか?
とてもいいご指摘だと思います。
次回は、これからの時代の「みんな」について、お話してみたいと思います。(ベルマーク活動についても、わたしの個人的な考えがあるので、それものちのちお話ししてみたいと思います。)
夕方の公園の帰り道のように、みんながそれぞれの立場から、「みんなのおいしいごはん」のために動き出せますように。