見出し画像

死ぬのが怖いあなたへ 〜わたしの祖母と社会保障制度の話〜

こんにちは。照りつける太陽と子どもの夏休みの宿題にぐったりしている海石榴です。今日は、”他界した祖母への手紙”という形で、今取り組んでいる社会保障改革についてお話ししたいと思います。

日本政治のタブーに触れた原点

お盆休みの戦争特集番組を眺めながら、あなたのことを思い出す季節となりました。あなたとの記憶は、わたしの政治的な原点でもあります。

国文学少女だった幼い頃のわたしが、無邪気に皇統譜を諳んじてみせたとき、ハッと困った顔をした時のこと。”ほめてもらえると思ったのに、なぜ、食卓に並んださつまいもを頑なに拒むときと同じ顔をするのだろう。TBSのテレビ番組『皇室アルバム』のロイヤルファッションは楽しそうに観ているのに”。皇室と戦争をめぐる素朴な疑問は、長い年月をかけて政治への批判眼に育ち、今は政界で裏方仕事をするに至っています

「死ぬのが怖い」

わたしの職務は、世代間格差が拡がる社会保障制度改革のための折衝です。介護や終末医療の現場を見聞きし、看取りの悲しみに寄り添うたびに思い出すのは、晩年のあなたが家族に漏らした言葉です。心の中に沸き起こる嵐を打ち消すかのような独り言。それは、あなたを見送ったあと、わたしの心の奥底でずっと燻り続けてきた難問でもあります。

人生の最期を迎えることは、本当にこわいものなのだろうか。
死の苦しみから逃れるために、わたしたちはどうすればいいのだろうか。

宗教家でも哲学者でもないわたしは、こうした問いへの答えを持っていません。しかし、病老死苦からの直接的かつ現実的な救済である社会保障制度について、いくつかの考えを持つようになりました。

(1)「死ぬのが怖い」のは、医師のせい

法律上、日本国民の生死には、医師が関わらなければならないことが規定されています(*1)。揺りかごから墓場まで、医師の職責は「できるだけ”死”を回避すること」。わたしたちが必要以上に死を恐れているのは、「患者の”死”への責任が問われる」医師のせいではないでしょうか。また、「こうした人たちにとっての“安心安全”」が、まるで「わたしたち自身の”安心安全”」であるかのような視点からのメディア報道も課題の一つだと考えています。

(2)死にたくないのは、損をしたくないから(?)

人類の長い歴史の中で、長寿は神仏の御加護による僥倖でした。ほんの数十年の間に、わたしたちは、死を、”永遠に回避し続けることができるもの”であるかのように錯覚していないでしょうか。また、早くに亡くなる方を不運で忌むべきことであるかのように扱う世間の風潮にも疑問を感じています。それが、”長生きをしなければ恩恵に与れない”年金制度の制度設計のせいだとしたら。社会保障制度は、国民一人ひとりの死生観にできるだけ影響を与えないことが望ましいのではないでしょうか。

(3)死なせたくないのは、孤独が怖いから(?)

現行の介護保険制度が、「できるだけ”死”を回避すること」を使命とする医師の判断のもとで運用されていることで、現場に必要以上の負荷がかかっているように見えます。人生の終末期においては、ご本人の嚥下障害や褥瘡の防止と同じかそれ以上に、残される周囲の人たちの心に対するケアが求められているのではないでしょうか。

家"婦"長 宣言

母があなたの年齢に近づき、わたしも2人の子どもを育てるようになりました。食卓の子どもたちにお小言を言うときは、令和の時代にしてはちょっと古臭いあなたの台詞を使います。「お米一粒には13人の観音様がいらっしゃるから、ご飯は残さず食べなさい」。"えー!おおすぎぃー!"わたしは続けます。戦争が遺したあなたのトラウマ(*2)のこと。農林水産やエネルギーをめぐる課題。「おいしいごはんは、そのくらいたくさんの人によって支えられているってこと」

世代を超えて受け継がれる日本のこころは、「"家名"という記号」を通してではなく、ありふれた日常の積み重ねにこそ宿るものです。保守の理想を説く政治家の皆さまに申し上げたい。机上の理想に息を吹き込み、現場の実践に尽くしてきたのは誰なのかと。「夫を支える"内助の功"」(*3)構造を直視せず、「人権尊重」や「誰ひとり取り残されない社会」などと上滑りする言葉を連ねているのは誰なのかと。

社会保障をめぐる多くの難題に、より多くの方のご協力とご尽力を賜われるよう、どうか、これからも見守っていてください。

***

「なんだこれは!年寄りは死ねとでも言いたいのか!」と思ったあなた。ぜひ、あなたの率直な気持ちを身近な人に伝えてみてください。わたしのような中年女性がおすすめです。きっと、あなたの誤解を解いてくれるでしょう。

「ええカッコしいお説教が鼻につくな」と思ったあなた。どうか、その違和感を大切にしてください。わたしが今いるところのルーツは、太平洋戦争中に"大本営"と呼ばれていたところと重なるからです。兵隊の死を「名誉の戦死」と称え、戦況悪化の事実を隠し、多くの無辜の人々の命を奪った、あの悪名高い"大本営"です。令和の言論空間において、「社会保障給付費90兆円」に関する議論が進まない背景には、メディアも政治家も、国民一人ひとりの生死をめぐる価値観に踏み込むことに躊躇してしまう事情があります。

それでは、ここで、あらためて日本の年齢別人口分布のグラフ(*4)を見てみましょう。

「わたしより10歳上、氷河期初期の同級生は200万人。40を過ぎたわたしの世代が150万人。若い社会人世代で120万人。"保育園落ちた日本死ね"で苦労した小学生でちょうど100万人。下の子が通う保育園に今年入ってきた赤ちゃんは70万人」。少子化対策の効果を充分に上げるためにも、持続可能な社会保障制度について真剣に議論する責任(*5)が、わたしたちにはありますわたしたち自身がどのように老い、老親を看取り、身罷るかという覚悟の話でもあります。

わたし一人ではとても手に負えないので、どうか、一緒に考えてください。

(*0) タイトル画像は、新潟市公式観光情報サイトさんより拝借しました。冥土にお金は持っていけないので、お座敷遊びでもしませんか。わたしは生涯現役の老後に備えて、和のお稽古ごとに挑戦したいと考えています。無駄遣いできる経済構造のために、一緒に準備しませんか。https://www.nvcb.or.jp/topics/lunch-hanamachi
(*1) 医師法(昭和23年法律第201号)
第20条 医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後24時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。 第21条 医師は、死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない。
(*2) 祖母の世代にとって、色鮮やかな晴れ着は富の象徴だったのでしょう。「わたしが若かった頃は、おしゃれなんかできなかったのよ」。着飾ることは若い娘の当然の権利だとでもいうように、幼いわたしに和装のあれこれを説いてくれました。日本の地方都市を訪れると、それぞれ独自の色彩感覚や美意識が宿っていること、富の蓄積は一朝一夕ではかなわないことを実感します。わたしたちは、どのように富を蓄え、次世代に引き継いでいけばよいでしょうか。
(*3) ここで駄文を綴り、中央省庁に働きかけるというわたしの仕事も、「夫を支える"内助の功"」の一環として金銭的な対価を得ていません。中央省庁の政策立案の現場からは見えにくい「家政」構造は、日本の「失われた30年」とも密接に関係しているはずです。
(*4) 総務省統計局「我が国の人口ピラミッド(2022年10月1日現在)」より https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2022np/index.html
(*5) 2024年8月18日現在、自民党総裁として実現させたい政策の中に社会保障制度改革を掲げる候補者はいませんでした。怒りと失望の気持ちを込めて一部修正しました。

「日本に寄付文化を」にご共感いただけましたら、サポートのほどよろしくお願いします🙇‍♀️💦