オムツを替えたことがないあなたへ 〜育児と介護と日本の未来の話〜
こんにちは、”ハイブリッド専業主ふ”、海石榴(つばき)です。
"ハイブリッド専業主ふ"とは、獰猛な資本主義と子どもを産み育むゆとりを社会の両輪として回していくために提案中の新しい職業です。今のところ、ただの専業主婦以上の経済的な実態はないのですが、皆さまから多くの反響をいただくようになりました。
勇気あるご質問をありがとうございます。
この仕事の醍醐味は、お互いに違和感を感じながらも、背景にある経験を語ることで少しずつ隔たりが解けていく感覚です。まったくちがうわたしとあなたが、性別や国境や文化の壁を超えようとする試みに、皆さまもどうかお付き合いください。
My proposal is unisex
まず、わたしのアイディアは、女性のみを対象にしたものではないことを強調したい(*1)と思います。
社会の中には、時間管理に適した仕事と、適さない仕事があります。前者の例としては、工場での大量生産、建築工事、輸送配送陳列や清掃・警備といった現場仕事が、後者の例としては、企画や編集などのアイディア勝負の仕事がありますね。人によっては、教育や研究開発、芸能・スポーツや芸術など、自分の情熱のおもむくままに寝食を忘れて没頭したい仕事もあるかもしれません(*2)。
人びとが1年を365日、1日を24時間に区切り、経済学が労務管理を発明してから、長い年月が経ちました。時間管理に適さない仕事のひとつ、子育てを通じて感じたことは、「時間管理に適さない仕事は、時間管理に適した仕事と同じくらいだけあるのではないか」ということです。後進の育成指導(*3)の仕事は、労務管理をせざるをえない営利組織の中にある必要は本当にあるのでしょうか。何度も何度も実験を繰り返したり、膨大な資料と向き合って真理を追求する学術研究の世界はどうでしょうか。自由で力強い営利的な経済活動を、地域や家庭が分厚い土台となって支える社会構造なら、わたしのようなハイブリッド専業主ふになりたい!そう願う男性だって少なくないはずです。
Sustainable and ethical
また、この提案は、出生数の激減に直面した極東の島国が、移民に頼らずに今後も存続し続けることを目的の一つにしています。
あなたのお母さまは、金融業界の管理職として働いていたとのこと。移民一世として、また、歴史的にもウーマンリブの最先端モデルとして、きっと並々ならぬ苦労と努力があったに違いありません。日本も、欧米社会に遅れをとるまいと、男女共同参画社会基本法(1999年)と介護保険制度(2000年)によって、それまで家庭内でケア(介護)労働を担ってきた女性たちを”解放”しようと努力してきました。しかし、わたしたち氷河期一世代分の社会実験の結果、すなわち「フルタイムで働く既婚女性の割合は変わらないまま、出生率は伸び悩んだ」という不都合な現実(*4)を、当時の法目的と趣旨に立ち返って直視しなければなりません。
ジェンダー平等とは「女性も賃金労働をするために社会に出ること」。おざなりになりがちな家庭の中の仕事はシッターや外部業者の皆さんにやってもらえばいい。先進国の多くの人がこうした考え方を持っていることは否定しません。ただ、ジェンダー平等指数125位の日本(*5)の主婦の目からは、家庭機能の外部化コスト、つまり、面倒なことを誰かに安上がりにやってもらうための社会的コストを考慮していないように見えるのです。とりわけ、移民や国境の壁(為替による購買力の差)を利用して、理想の男女平等参画社会を実現できているかのように誇示することは、グローバル経済の美味しいとこどりをするあさましささえ感じます。同じ社会構造の中で移民の人々が子どもを産み育てることを阻害し、固定的格差が生み出す社会の軋轢を無視しているように見えるからです。
日本にとってとても残念なことに、為替による購買力の差を利用して、安上がりな労働力を"輸入"することは、以前に比べて難しくなりました。でも、わたしはこれでいいと考えています。貪欲なグローバルスタンダードではなく、わたしたちの流儀でこの社会を維持することを選択すればいいのですから。
Neo-patriarchy to achieve gender equality
この提案は、”イエ”を象徴する”姓”という伝統的なファンタジーのもとに、ジェンダー平等を実現しようとするものでもあります。
わたしのこの5年間の仕事———戦前から続く身分制の残滓と、戦後民主主義と福祉国家としての歩みの重なりによる社会のさまざまな制度や構造を解きほぐしていく試みは、皆さまのおかげで日の目を見ようとしています。わたしが考えるジェンダー平等とは、「女性も賃金労働をするために社会に出ること」でも「男性も家庭や地域でのケア労働を女性と同じだけ同時期に分担すること」でもありません。「ひとりの人間が、生涯を通じて、ケア労働の提供と享受の帳尻を合わせる」ことです。女性が社会で直面するさまざまな不利益は、”出産を機に家庭内のケア労働が女性に偏りがちなこと”に起因するものであり、出産が引き起こす圧倒的な現実と社会からの期待が、経済構造や雇用関係の固定化、家庭の中におけるパワーバランスの固定化に繋がっていると考えているからです。施作ジェンダー平等度を測る指標も、社会の主導・管理的な職位における女性の割合だけではなく、職業選択の自由度を指標にしてもいいかもしれません。
Much more serious "Unconscious Bias"
社会の中の無意識のバイアスは、女性理系職にまつわるそれよりも、男性によるケア労働にまつわるものの方が圧倒的に多いものです。
まさに、わたしの父もそうでした。生まれたばかりの初孫を連れて帰省したわたしを大喜びで出迎えたものの、抱いていた赤子の”異変”に気づいたとたんに顔をしかめながら母を呼んで助けを求めた父の、なんと罰当たりなことか。逃げようとする父を「来た道はいずれ行く道(初孫のオムツ替えができないなら、あなたのは誰がやるのよ)」と母が諭して、父はめでたく”一人前のじいじ”になることができたのでした。あの可笑しくも神聖な儀式は、新生児の甘やかな香りとともに懐かしく思い起こされる記憶として、今でも家族の語り草になっています。
人間は誰もが等しく、ひとりで生まれてくることも、ひとりで死んでゆくこともできません。人口が減っていく社会で、みながみな一様に「日本に介護保険制度があれば、銀行通帳に残高があれば、老後はなんとかなるだろう」と考えていることのなんと愚かなことか。「お金がないならないなりに、庶民が知恵と工夫でなんとかする」ではなく、新しい日本の輸出産業になりうるような社会の仕組みを、わたしは創りたい。
I want YOU for new paradigm
例えば、同じビーフパティを焼く仕事でも、巨大バーガーチェーンのキッチンではなく、裏庭に備え付けてあるグリルでの方が楽しいと思いませんか。・・・え?働く場所じゃない、一緒に働く仲間の方が大切だ?えぇ、お気持ちはとてもよくわかります。
ですから、わたしは、現場であなたを待っています。
詳しくは、またのちほど。
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