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DAY 28lあなたの趣味は?と聞かれて即答できる人はどのくらいいるだろう

先日から猛烈な編み物熱が再燃して、毎日毎日寝ているとき以外はほぼ編み針を手に編みっぱなしの生活。

編む動物。
私の敬愛する編み物作家の一人、三國万里子さんが先日出版したエッセイの中で、自身の編み物をする姿をそう形容していた。

あぁ、確かに。
糸と針を手に、寝食忘れて編む姿は確かに動物そのもの。
時間が許すのであれば、なにもかも放り出してひたすら編んでいたい。食事や仕事や睡眠さえも編むこと以外のすべてが瑣末なことに思えて、糸と私の間にあるすべてのことがどうでもよくなる。色とりどりの美しい糸にうっとりして、その感触をずっと手の中で味わっていたい。

初めて編み物をしたのは小学4年生のときだったか。祖母の用意してくれたセーターを解いて毛玉にしたあずき色の毛糸。そのお古の毛糸でマフラーを編んだ。
そのときはどちらかといえば、編みたかったからというより流行っていたからやってみた、くらいの気持ちだった。力加減がわからなくてたひょうたん型になったマフラーは身につけることはないままタンスの肥やしになった。

その後、20代、30代と編んだり編まなかったりしながら40歳になった。まったく編まないときもあるのに、不思議と道具を手放すことは考えたことがない。

編み物とは不思議なもので、楽しいときはもちろん、悲しいときにも編みたくなる。

やるせない悲しみに襲われた30代。現状を打破することができない苛立ちと悲しみから編み物が救ってくれた。
おもて、おもて、うら、うら……ひたすら手を動かすことで無心になれた。心穏やかな気持ちを取り戻せる気がして編みまくった。今思うとまるで編むセラピー。
完璧に自分のためだけの編み物だった。

今はおかげさまでそれなりに楽しく暮らしている。そのおかげか編み物は人になにかを編むことのほうが多くなった。人に送るものを編むときは「楽しい気分」のときにと決めている。目には見えないけれど、楽しくて幸せな気持ちが少しでも糸に乗るように。
もちろん自分が楽しむことも忘れない。

気に入ってくれるかな。

喜んでくれたらいいな。

相手の笑顔を想像するともうちょっと、あと一段と手が止まらなくなる。

なんにも続かない三日坊主な私だけど、願わくば大切な趣味として編み物を続けていけたらいいなとしみじみ思う、今日この頃。

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