帰り道

今日も長い一日が終わった。

私の仕事は拘束時間がえらく長い。
朝は6:15頃に起きて7:00に家を出る。電車に乗って、職場に着くのは8:05頃。そこから出勤してお昼13:00前まで勤務。午後は15:00から再度勤務開始で終わりはうまくいって21:00過ぎ。遅い時は22:00になる。そこからまた朝と同じルートで1時間程かけて帰宅する。寝るのはほとんどは23:00を過ぎる。

この仕事を選んだのは自分なので、誰にも文句は言えない。嫌なら辞めればいい。ひと昔前の私ならあっさりそう思ってコロッと辞めているのかもしれない。けど、今の私には自信がまるで無い。新しい仕事、新しい職場、新しい人という環境に自ら突っ込んでいける気がしない。
過去から考えれば私は割と何でもこなしてきた。今の仕事もかなり苦労はしたものの、結果的に誰よりも、とまでは言わなくともなかなか上位の仕事っぷりだと思う。そう思うまでは思える、できるんだけど、それがなぜか私の自信の容量と化さない。
本当に都合のいいように、過去の良かった自分は今の自分に繋がらない。悪い過去だけが今の自分に繋がっている意識がとても強い。
金銭的な事情もあって、今の仕事を辞めたとして、空白の時間を作るわけにもいかない。1番辞められない理由はそれも大きく関わっている。
それと同じくらい大きい理由として、仲良くなったお客さんとの関係が日常から無くなる怖さもある。私の事を褒めてくれたり、励ましてくれたり、笑わせてくれたり、話を聞いて癒してくれたり、そんな日常も長い拘束時間の中にあって、それがあるからこそ続けられている部分が大いにある。肉体的なしんどさのデメリットよりも、そうして精神的に救われる面が大きなメリットに思える。だから私は昔から接客業が好きだし、一度内定をもらった大手の会社(商品企画部にて内定)を蹴ってでも今の仕事を選んだ。

それから…
最寄り駅に着くといつも彼がお迎えに来てくれている。体調が優れない時や何かの用事で来られない時を除いてほぼ毎日。その為、彼の寝る時間も私と同じように遅くなってしまう。それだけはいつも申し訳ないなと思いながらも、やっぱりそうしてお迎えがある事が嬉しい。嬉しい、だけだと何だか言葉足らずな感じがするけど、私の為に行動してくれてる事の1つとしてすごく嬉しい。お迎えに限ったことではないけど、自分の時間を犠牲にして誰かの為に行動する事ってそう簡単な事ではないと思っている。彼は犠牲を払っているとまで重大に思っていないかもしれないけど、みんなが皆できることではない。さすがに習慣化しているのかもしれないけど、それでも雨が降ってたり寒かったり何かしら嫌な要素があった中でも変わらず動ける彼は凄いなぁと思う。

そんな彼のお迎えを心待ちにして、日々私は仕事から帰っている。
彼も一日仕事をして疲れている中、お迎えにきてくれた上、さらに私が仕事などで落ち込んでいたら励ましたり慰めたりしなければいけない時もあるから申し訳ないなと思う。

彼が眠さで話が弾まなかったり無言が続いた時にも私は不機嫌になる事がある。迎えにきてくれた事への感謝だけ考えればいいものを、自分の心の要求がそれを押しのけてまで出てくる。

無言が怖い。というのは随分前に克服したと思っていた。元彼が口数の少ない人だった。時間とともにそれに慣れるしかなかっただけで、本当はもっと話したかった。その自分を押さえ込んでただけだった。

自分を抑え込まないといけない時もあるかもしれないけど、極端にそうして押さえ込んでしまうとかえって逆効果になるうるのが私なので、そのバランスに気をつけたい。

彼との大切な時間をこれからもっと明るいものを多くしていきたい。今日もお迎え、ありがとう。

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