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休日

今日頑張れば明日休み。
そう思ってやっとその今日が終わった。

明日から久しぶりに彼との二連休が始まる。
やっぱり休日は二人で過ごしたい。
自分ひとりの時間も大事だけど、同じ休日でも1日終わった後の心の充実度にはやっぱり差がある。

かといって彼に求め過ぎるのはもうなるべくよしたい。楽しい休日、充実した休日を始めから求め過ぎるのは多分よくない。私にとってそれがどういう休日なのかは結果論であって、事前にこうとは言えない。
どこに出かけたい、これが食べたい、あれがしたい、と具体的な欲は私にはあまり無い。
あえて私から具体的にこうしたい、と言うことがあるのなら、それはまぁまぁよっぽどなんだと思う。

お金を使うことでしか楽しみを感じられない、どこかに出かけないと楽しくないのか、というニュアンスの事を前に彼に言われたことがあった。彼の目にそう映ってしまうのは仕方ないのかなと思いながら、その言葉がそれから時間をかけて私に浸透してくる。
その時はどうしたか、確かすごく落ち込んだ私になっていたかと思う。感情は覚えてるくせにその時の自分の行動などはあまり思い出せない。

今はその頃よりも家で遊べる環境が増えたり、私から誘うまでもなく彼からのお出かけの提案があったりもする。それから、なるべく彼と合わせて休みを取るようになってからは連休になることも多くて、家で過ごす日とそうでない日のバランスが取れていたりもする。

そして、出かけたから楽しい休日を完璧に過ごせるということでもない。まぁ、それを言い出したら何をしててもどこにいてもそうなんだけど。

コロコロと移り変わる感情に揺られて、その振れ幅は一定になることなく、時に急に暴れ始める。その感情のリードをしっかりと固定してもらいたい。暴れそうになった時には優しめに引っ張ってどうにか落ち着かせてほしい。そう自分でもできるようにいつかなりたい。

今日も色んな気持ちを感じた。
上司から自分を呼ばれる度に足を運んでは不安な気持ちになった。質問をされてもその不安感からうまく言葉が出てこなくて変な間を作ってしまったり、声が小さくなったり視線が下がってしまったり。
その上司から「ありがとう」と言われてもなぜか違和感を感じてしまう。ありがとうの言葉に理由は大して必要ないと思っている反面、上司を疑っているのか自分を疑っているのかはわからないけど、違和感に思ってしまう。
まだそれくらい私の自己肯定感ってのは低くて、上司に対する信頼性も低いんだと思った。

同様に。母親からのありがとうも私は受け取れない。素直じゃないんじゃない、むしろ素直に言ってそれが現状だという事。私を否定してこない母の状態を見ると、「ああ、今は機嫌が良いんだな」というのが素直に思う事。

私の自己肯定感は明らかに低い状態ではあるものの、相手に対しての見方によっては承認だとして受け取ることもできる。母と違って父の言葉はどんなものでもわたしには優しく映る。父より母の方が私と過ごした時間は長く、愛情(らしきもの)を注いで育てたはずだというのに悲しい現実だなぁと少しばかりは母に同情する。

もう少し「ありがとう」について考えてみる。
上司の言葉にはあまり感情が乗っていないように受け取れる。そして何よりも、表情が伴っていないことが私にとっては特に大きい。あまり言葉としての記憶が得意ではなくて、声色やその時の表情のイメージの方が強く頭に残る。それによってその人物のイメージを無意識ではあるものの、記憶している。わからない、みんなそうなんじゃないかな。特別、私はそういうものに敏感になってしまっているのかな。

人の事はそうやって気になるけど、私自身はどうなんだろう。彼にとって、泣いたり怒ったりばかりしてる私のイメージになりたくない。もう遅いかもしれないけど…。彼の笑顔もたくさん見たいし、私も一緒に笑いたい、ずっと。彼に悲しい顔や困った顔をさせたくない。

明日はきっと大丈夫。

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