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婚活について思うこと

安全圏から何をゴチャゴチャ抜かしとるんじゃ、と石を投げられるかもしれないが書いてみた。話があちこちに飛んでいて読みにくいかもしれないがお付き合いいただけると嬉しい。


40代の婚活について考える


今日、彼とカフェでお茶をしていたら、男女2人組が隣の席に来た。最初は夫婦かと思ったが、2人の距離感や言葉遣い、話の内容から婚活中の男女だと気づく。別に他人がいつどこで何をしていようが私には関係の無いことなのだが、推定40代の婚活現場を見た私は「大変そうだな」と思った。

小娘の想像に過ぎないが、40代まで独身だった女はきっとそれなりの収入があるだろうから男にも自分と同等もしくはそれ以上の収入を求めるはずだ。それに、40代まで独身だった男もそれなりの収入があるのなら経済力を活かして自分より若くて可愛い女の子とのワンチャンを狙うのではないだろうか(しかし若くて可愛い女は若くてかっこいい男と付き合うので婚活市場に出てこない)。こうなると男女ともに何かしら妥協しないと結婚はできなさそうだ。妥協して結婚するのって幸せなのかしら。
もちろん結婚に求めるものは人それぞれ違うだろうし、外野がとやかく言うことではないのだが、率直に「大変そうだな」と思った。

それにお互い40代まで1人で自由に暮らしていたのだとしたら、今さら誰かと暮らすなんて窮屈ではないだろうか。突発的な飲み会や急に思い立った旅行などで家を空けたりできないし何をするにも相手の許可がないと揉める。
今まで失敗も成功もすべて自己責任だったのに、2人暮らしになった途端、自分の失敗に相手を巻き込んでしまったり自分が相手の失敗に巻き込まれたりもする(料理とか株とか)。これもかなり重荷になりそうだ。

私は、結婚はある種の契約だと思う。私には貴方だけ、貴方にも私だけ。他の誰とも恋愛しません。そういう契約。お互いを法的に縛る契約だ。当然、相手の人生に対する責任も生じる。
楽しいこともあるのだろうが、父親の顔を知らない私は恋愛や結婚に対してどうしても斜に構えてしまうところがある。いつなくなるか分からない不確かなものを信じて飛び込めるような若さもない。
「結婚なんてのは若いうちにしなきゃダメなの。物事の分別がついたらできないんだから。」という樹木希林の言葉を思い出し、よく言ったものだなあと感心する。



敷かれたレールと結婚への圧力

40代で結婚に求めるものってなんだろう。と下世話なことも考えてしまった。
子供は年齢的にハイリスクだし難しいだろう。となると老後の不安が原動力になっているのだろうか。いや、きっと現代社会に蔓延している「結婚して1人前」という雰囲気に呑まれてしまったに違いない。

最近、多様性だなんだと耳障りのいい言葉をよく聞くが、大学を出て定職に就いて結婚(※女はこれにプラスして妊娠出産家事育児)、というレールが敷かれているような気がしてならない。そしてこのレールから外れると難アリのレッテルを貼られるのだ。職場で部下の指導をしたり上司に反発したりすると「だからそんな年齢にもなって独身なんだ」と各方面から独身であることをネタに叩かれるに違いない。社会人としての義務は果たしているのに、独身であることが汚点であるかのように叩かれるなど納得いかない。
(※妊娠出産は解剖学的に女にしかできないので仕方ないが家事育児は男もやれよ、とも思う。)

隣の席の婚活男女に抱いた感想から話がかなり飛躍してしまったが、決められたレールの上を走り続けるのはなんとなくしんどい。なんだかんだ文句を言いながらレールの上を走っている自分にも嫌気がさすし、このレールの存在に気づいてしまったせいで「私はレールの上にいたいから彼と付き合っているのか」「本当に彼のことを愛しているのか」「そもそも愛とはなんだろう」など余計な考え事が増えてしまう。恋人がいることをステータスにしてしまっている自分がいるのではないかと不安になる。

なんだかんだと文句を言いつつも交際6年目の彼と同棲中の私はこのままレールの上を走っていくのだろう。レールの上を走る息苦しさと彼との生活から得られる安らぎに振り回されながら、レールの上にいる安心感や優越感に浸り走り続けるに違いない。
ここまで書いて改めて人間の醜さなんかにも気づいてしまって鬱々としてくる。来世は金持ちの家の猫になりたい。

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