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戦国時代とイーロンマスク

コテンラジオの戦国時代編。
信長→秀吉→家康と、日本の天下統一に始まってから家康が構築した200年に渡る盤石の統治までが、現在いたる私たちの思考にまで慣習として浸透している様子が窺えて、ものすごくスリリングだった。

組織と才能の、まさにしのぎを削る様子が圧巻だ。いかに信長の実力主義的評価がその先の時代への枝を育てたかもさることながら、泥臭い流通の現場とトップ戦略どちらをも知る秀吉の、抜きん出た活躍。その後の平定の礎を築く家康のストラクチャーが、いかに現代にまで、日本の自動思考として浸透しているか。聴くにつけ、歴史を知ることの面白さに気付かされる。

もうここまできたら、コテンラジオの存在自体が哲学のようで。それは「息吹」というか、例えるなら人類の生命そのものや、血流を探究する好奇心そのものだ。

同時並行して、いまだにまだすこしづつ読んでいる『イーロン・マスク(下巻)』ウォルター・アイザックソン (著), 井口耕二(翻訳) に描かれるイーロンの行動に、信長、秀吉、家康と共通する箇所が多くて震える。

まさか戦国時代のように本当の刀で切り付けることはないけれど、言動やふるまいは、まさにそのもの。サプライチェーン全てに対しての、精通した人物の登用や場の作成から、容赦のない、目的達成のためのリストラ。そこにみられる一般的に受け入れ難い理不尽さ。付随する歴史に残る結果群。

なによりも、歴史として俯瞰して見た時の、その人物における魅力。

時代は変わっても、人類は戦国時代的なふるまいをする集団や、そのマインドを抱えてゆくであろう証左がありありと見えて。

いやはや、ちょっと信じ難いけれど、私自身この人たちのいる人類史の端っこにいることや、そこでどう命を繋げていけるものかも含め、この先の未来をさらに、見ていけたらと願う。

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