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にっぽんの戦争 2023

こんばんは。
今が何時かと言うと、1月13日金曜日の午前3:41です。
家人が寝静まった深夜、ひとりでnoteを開いております。

きっとみなさんは、眠っていらっしゃる時間でしょう。
私は前回にもお知らせしたのですが、家族に発熱した人が出てしまい、自宅待機の時間を、こうしてものを書く時間にしています。

さてさてですが、
私には、小学校2年生の頃から、折に触れては考えている事があります。
それは、

『人間はどうして戦争をするのだろう?』

という問いです。

私が小学校の頃。それは1984年から1990年くらいまでの間だったのですが、一年に1度か2度、小学校の体育館か市民体育館で、全校生徒を集めたり、地域の人で集まっての映画鑑賞がありました。

確か『パパママバイバイ』も『怒り地蔵』も『白旗の少女』も、この映画鑑賞で見たと記憶しています。

学校の図書館には、置いてある唯一の漫画ということで、クラスの男子も折に触れては『はだしのゲン』を読んでいた記憶があります。私も空いている順番に何冊かを読みました。加えて広島の原爆で黒焦げになった死体の写真がある赤い背表紙の本なども、開いていました。

こういった本は、一人で読むのはなんとなく気後れするのと怖いので、私たちの間では、時折こっそりと数人で静かに見る本でした。

教科書では『ちいちゃんのかげおくり』も扱われましたし、
沖縄のガマという洞穴で、小さな赤ちゃんの口を塞いで窒息させなければならなかったお母さんの話『ヌチドウタカラ(いのちこそたから)』を絵本で読んだのも、小学生のころだったと思います。

みなさんは、こう言った本を子どもの頃に読まれた記憶はありますか?
これほど戦時の匂いのする作品に、触れた機会は。

戦争とはきっと、見たことがある。
読んだことがある。想像してみたことがある。
それ以上に、ひどいものだと思います。

人が一人死ぬその時に、検証の手はありません。
どんな殺人鬼が人を殺すよりも多く、簡単に。あっけなく。
死が扱われます。

もっとひどいことには、悲しみが悲しみとして適切に扱われることが、
特に稀になると想像できることです。

それでも私たちは、もしかしたら、そういった景色に、
慣れてしまったように感じているかもしれません。

多くの流行の作品には、見事な廃墟や殺伐とした景色が
散見されるからです。

大人になってから、
山田風太郎の『戦中派虫けら日記』を読んで、びっくりしました。
著者である主人公が、銀座で普通にケーキやお汁粉など、美味しいものを食べていた様子が描かれていたからです。
終戦の、二年前までは。

小学校の頃に見たり読んだりしたお話は、とにかく食べるもの着るものがない、終戦が近い非日常としての戦争ばかりが、描かれていたのでした。

戦争は今、日常の顔をしたまま、やってきているのだと思います。

なんとなく分かっていたけれど、ここまでとは。
などとびっくりしながら戦時へと放り出されて、
否応なく巻き込まれていくのだと思います。

まだどこか間に合うと、信じたい。
信じようが信じまいが、何が起こっているのかを見て、
そうして感じて、書いていかなくてはと思います。

上手にリンクが貼れるか分からないのですが、下記のHPを2回読みました。
どうして人間は戦争をするのか。
機会を作り、この記事についてもお話ししてみたいです。

https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/25331

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