つば甚

創業宝暦二年。 金沢の料亭つば甚と申します。 女将業の合間にアップしておりますので失礼…

つば甚

創業宝暦二年。 金沢の料亭つば甚と申します。 女将業の合間にアップしておりますので失礼がありましたらお許しください。 日本料理屋の中での女将目線で日々の暮らしや様子を綴ります。 マナー本には載っていない話もございます。

最近の記事

建物の歴史

現在のつば甚は大正時代に立て直されたものです。 およそ100年前です。 大正8年に金沢市内線(路面電車)を開通させるために寺町大通りの道路拡張が行われました。 その為につば甚は建て直され、犀川側に下がりました。 つば甚の正面玄関にある大きな松の木ですが、 この建て直しが行われる以前は中庭の木だったと言われております。 つば甚がある寺町台は平成24年に 『伝統的建造物群保存地区』として指定されました。 そのためこの景色は変わることなく保存されるということです。 この寺町

    • 雪が起こす不思議体験

      金沢の雪は 水分がとても多く 積もると重く、 固まると岩なようになる厄介なものなのです。 50センチ以上の積りがあり 除雪をしていない状態の場所では、 全ての音が周りのゆきが吸収してしまい お互いの会話が聞き取れにくくなり もう一つ凄いことに、 広い場所 例えば大きな川の対岸で話している人々の話し声が 耳元で聞こえているような そんな不思議な現象が起こります。 雪国の皆様 お気をつけてお過ごし下さい。

      • 家の中に神様がいっぱい

        床の間に新年の氏神様が宿るため 三宝の上にお鏡餅をご用意しますが こちらの写真のものは床の間以外のコーナー、 例えば 神棚、調理場の火元、盛台の上、 各コーナにある大黒様、金庫などなど多くの箇所に 大小の品をお飾りいたします。 床の間はお鏡飾りのほかに 全てのお軸に 稲穂飾りを掛けて床の間に宿る神様に敬意を表します。 この軸専用稲穂は金沢独特のもののようですが このようにしてつば甚では新年の準備を昔からの風習のまま進めてまいりました。 来年は 少しで

        • 老舗料亭での意外な鍔の使い方

          私共の歴史はその昔 金沢前田藩主お抱えの刀の鍔師でした。 その後塩梅屋(あんばいや)として簡単な食事処を始め 墓参りの途中に休憩される殿様のためにおもてなしをしたところ評判となり 生業として料理屋誕生となりました。 さて、この鍔は 巻いてあった絨毯などの巻き戻しを抑えるために置いた大きい鍔型の鍋敷。 文鎮、灰皿の蓋、襖の引手など多くの鍔型の品が私共にありますが 本物の鍔は 度重なる戦争時に国に供出したり、進駐軍(GHQ)に持っていかれたりしましたので 戦後

        建物の歴史

          館内は昔の品ばかり

          来年の干支を出してまいりました。 後ろの金砂子二枚折(2枚に閉じる事ができる屏風)は 明治時代初期のもの。 金砂子技法は江戸時代から変わらない細かな作業。 竹筒に金箔を入れて振る作業を重ねていくうちに 景色が出来上がります。 つば甚の部屋や館内には 二枚折、屏風、襖、籐筵(籐むしろ)、お飾り、など 様々な品は古いものは室町や江戸時代からのものを使っていますので それらを守る為 どんなに寒い冬でもどんなに暑い夏でも お客様が滞在される時間帯のみしか冷暖房は

          館内は昔の品ばかり

          実のなるもの

          師走の つば甚での最後のお茶お稽古。 12月は慌ただしい為 お稽古の時間も短く、しつらいも質素に。 ご用意した料理も簡素になります。 弁当に使用した蓋付き縁高の模様は 実のなるものの絵変わり。 銀杏、茄子、南天、桜桃と一年を通しての柄を使いました。 過ごしてきたこの年を振り返り無事過ごせたことに感謝して 来年に向け新たなる気持ちを固める、 という事です。 実がなる柄は 繁栄を意味し縁起が良く 目出度い柄として着物や帯の柄によく使われます。 ですから

          実のなるもの

          歴史が400年の金沢つば甚とは

          石川県金沢市前田藩主の元 400年前から 刀の鍔師としてお仕えしていた鍔屋甚平衛が先祖。 350年前より少しづつ塩梅屋(良いあんばいの料理を提供する店)として料理を作り出し 現在は料亭つば甚として寺町に連綿として続いています。 (料亭とはお座敷[本席、前室がある]で料理と その土地の芸妓の芸を同時に楽しめる料理屋の事。) つば甚の日々の様子、 店内に点在する歴史を紐解き発信していくことで 金沢発見、日本発見、マナー再認識、生きる喜び、 を感じ取っていただけ

          歴史が400年の金沢つば甚とは