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イカゲームって何がおもしろいの?

なんだか世間がざわついてるな…!?ということで、イカゲームを一気見した。おもしろい題名にキャッチーな人形、これだけで話題性は十分。観る前は、「日本のサバイバル系映画のパクリ」だとか、「めっちゃハマる!」とか、はたまた「これのどこがおもしろいの?」などなど、賛否の声が入り乱れている印象で、なんとなくこういう展開のこういうストーリーなんだろうな〜と想像がついたのもあって、ぶっちゃけそんなに期待はしてなかった。

半日潰して観終わった。なんだか、いろいろと考えさせられるドラマだった。考えさせられている時点で、私の負けか。別に制作陣との勝負でもなんでもないんだけどね。でもなんだか悔しいなあ。うまーくツボをぐりぐりされたような気がして、確かにありがたいのだけど、自分のことがバレているような気恥ずかしさ。ま、そんなちっぽけなことを言ってられないほど、考えるテーマは大きく、そして多岐に渡ります。テーマごとに書いていきます。ネタバレ含みます。

デザイン

ビジュアルが強い。一度見たら忘れないほどの衝撃。だって、とてもシンプルだから。それが全てを物語ってるから。「デザイン」ってかんじがします。色も印象に強く残る。緑のジャージ、ショッキングピンクの運営スタッフの作業服、ちびまる子ちゃんみたいなワンピースの女の子の人形、、、。大雑把すぎる所感だけど、韓国人は原色遣いがうまい。直裁的。よく頭に残る。そして、服のデザインもいい。○△□のアイデンティティもいいよな。この3つのマークがドラマ全体でうまく使われていて、ストーリーを上手に導いてくれる。服と配色とマーク(部屋とワイシャツと私、を意識したわけではありません)、そしてそれらが持つ意味。これが見事に統合されて、ブレないイカゲームの世界観を構築している。こうして、まずはビジュアル的に、つまり意識的に私はこのドラマの世界に引き込まれた。

裏話

いやちょっと待てーーー!これあれじゃん!「インシテミル」「カイジ」「神様の言うとおり」とかと、かぶるところあるよね?というツッコミをわりと早い段階から入れまくっていた私ですが、だんだんその勢いはしぼんでいきました。なぜなら、それだけじゃなかったから。つまり、イカゲームはご丁寧にも、ゲーム生活の裏側まで書いてくれたんですね。バトルロイヤル系を見てる時、いつも思ってたことがある。「この人たち、いつトイレ行ってんの…?ご飯はどうしてんの…?」そりゃそうですよ。人間なので、生理現象抜きにして殺し合いをやれる人はまずいない。残念ながら、既出の日本映画にはあまりその描写はなかった。というかほぼない。そのため、日本映画勢(まとめちゃってごめん)は「バトルロイヤルのアドレナリン出まくりな様」および「わーやっぱ人間って怖いね〜的な心理描写」のみのフォーカスになる。それはそれでいいんですけども、イカゲームはそこで終わらなかった。これまた雑破な所感として、韓国映画は超・現実主義(シュールレアリスムとの区別としてあえて・)であると思っている。「映画は仮想?確かに作り物だ。でも本質はそうじゃない。俺たちの日常生活、現実があってこそのもう一つの世界としての映画だろ。だから映画こそリアルじゃないといけないんだ。」(かなりの妄想かつなぜ主語が俺)という韓国映画のコハムが聞こえる気がする。というわけで、イカゲームでは、食事シーンやトイレ休憩、それらに関するルールとそこでも見られる人間同士の争いと知略が描かれている。これを見て思った。あ、これはただのバトルロイヤルじゃないなと。生々しい人間(生々しくない人間なんていないと思うけど)の本能を、思考を、知恵と苦悩をそのままに描く。だから、別に韓国語がわからなくても、ほとんどの人間が心のどこかでわかるんですね。

格差

これはもう、韓国映画と切っても切り離せないと思います。隣国日本にいても、韓国の壮絶な格差社会と熾烈な競走の悲痛が漏れ聞こえる。数年前にソウルに行ったけど、確かに、高層ビルとデパートで煌びやかに栄えていたエリアと落書きだらけのシャッターが降りたままの薄暗いエリアがすぐ隣に並びあっていて、その差の大きさに驚いた記憶がある。もちろん韓国人ではないし、日本は格差が見えにくい国ということもあって、韓国のリアルな格差事情とそれに伴う人々の感情はわからない。でもそれは、私の想像を遥かに超えるほど激しく、頭にこびりついて離れないものなんだろう。……などと、人ごとのように書いてみたけど、実際私もここ日本で、競争社会の中に生きてるじゃん。そして、それを心のどこかでいつも感じていて、負けたくなくて、置いていかれたくなくて、イライラしてるじゃん。そういう心の奥底に隠している感情、いやあまりに感じすぎてむしろ感じなくなっていた深層意識を、イカゲームによって掘り起こされた。そう、そうです。別にこれは韓国に限った話じゃないよ。人は生まれればいつだってどこでだって、自分と周囲との「差」を目撃する。人は比較する生き物だからしょうがないけど、でも悲しい性だな。「差」が生じている。そしてそれは、生まれる前から決まっているものもある。じゃあ何?なんで生まれたの?こんなに苦しい思いをするぐらいなら…!と思ったのも束の間、イカゲームの次なる展開に私の「格差ひどい!格差やめろ!感情」もしゅるしゅると小さくなったのです。

世界に出るということ

はっきり言うと、イカゲームのストーリー展開は、映画を並程度観てきた人にとっては簡単に読めるし、あーそういうパターンねと、ともすればよくある王道展開でもある。でも大事なのはそこじゃなかった。というかむしろ、先が読めるぐらいよくあるストーリーなのに、こんなにウケてるのはなぜ?それは「共通性」があるから。これまで書いてきた各テーマも実は、国や人種に関係なくみんながわかる=共感するための仕掛けとしてドラマの中で用いられてきた。だからこそ、韓国だけに留まらず、世界中で鑑賞され多くの反響を得たんじゃないかと思う。じゃあ最後に残された仕掛けは何?これこそ、今までの格差系・バトルロイヤル系と一線を画すものだった。

とある私たちの悩み

何歳になっても、どんな社会的身分になっても、この世界は苦しい!そしてよくわからない!だからこそ、文字通り地球に生まれ落ちた私たち全員、どうするの?どうしたいの?でもどうしてこんなことになってるの?なぜ?なぜ?どうして?!

これに尽きる。もう年齢も資産も関係ないわけですよ。例外なく人類が思うこと。それはこの社会、世界がとてつもなく大きくて複雑で、それなのに小さくて画一的で、楽しいと思ったらすぐにつまらなくなって、嬉しいのに悲しくて、苦しくて。私はなぜここにいる?なぜここに生まれて、この現実に出くわした?それってどういうこと?この世は終わりのないカルマだらけ。謎だらけ。この壮大な問いに最後、ギフンは答えたのだろう。「幸せ」が待っていると思われたアメリカには行かずに、組織の闇を暴きにあの世界へ舞い戻った。そこにギフンの生きる意味があった。人一倍人のことを思い、情を大切にしてきたギフンにとって、それが答えだった。私はここに時代の変化を感じた。決して、お金がたくさんあることだけが、豊かな場所で生きることだけが、家族と仲良く暮らすことだけが、「幸せ」だとは限らない。あなたの幸せはあなたが決めよ、あなたの信念に従って。あなたの生きる意義を創るのは、お金の寡多でも地位でも名誉でもなくて、あなた自身。そんなメッセージが聞こえた。

そういうわけで、賛否両論いろいろあるけど、評判が起きるのに十分納得するぐらい私はこのイカゲームというドラマに考えさせられ、多くの学びを得た。ありがとうイカゲーム。おもしろかったよ。






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