ブランドについて考えてみたい、でもその前に
家の近くの天然温泉
私がまだ小さかった頃の話。
家から車で20分ほどの場所に、あるお風呂屋さんがあった。その地域は温泉が湧くこと自体が珍しい場所で、小高い山を削ってできた住宅街の中に位置していた。母がその天然温泉でパートとして働いていたため、そこの裏話やこぼれ話をたまに耳にした。聞くと、どうやら赤字ギリギリの経営状況だったそうだ。コンサルタントに依頼して経営改善を図ったものの、うまくいかなかったようだった。
しかし世の中には、こんな辺鄙な場所にあるのにどうして来客が絶えないの?と思うようなお店もある。そう考えると、むしろこの温泉には悪材料なんてないのではないかと思ってしまった。
人が来るお店と来ないお店の、その違いはなんだろうか?
子どもながら、不思議に思っていた。
それから10年以上経った今、ブランドに関わる仕事をしている。
学生時代はいろんなことに興味を持って、やってみたいことはなんでもやってきたが、今こうしてこの職業に落ち着いたのも、幼少期に感じていた素朴な不思議を解くための巡り合わせなのかもしれない。
ブランドについての認識
「ブランド」と聞くと、以下のように連想するだろうか。
確かに、そしてちょっと悔しいことに、そのどれもが当てはまる。
しかし、そのどれもが、ブランドを断片すなわち一側面からしか見ていないとも思う。
ブランドを、もっと立体的で、時間的含みのあるものとして見つめてみたい。
いつの時代も、強いブランドは存在する。それと同時に、ブランドではない(ブランドにはならない)ものも数多く存在する。
ブランドとは、以下のように言い換えることができるものだと考える。
それは、一際輝く個性とその支持者という二者がいてようやく成り立つ、信頼に基づいた関係性・絶え間ない対話のことでもある。
オリジナリティを有し、なおかつそのような関係性や対話を築くことができれば、商品・サービス以外であってもブランドは確立される。企業、自治体、国、そして人にさえ、ブランドという概念は適用されるのである。
愛という観点
ブランドには、人々に愛される魅力・秘訣がある。愛され続けるが故に、ブランドは時代を超えることができ、長期的な価値となり得る。
そして、その愛される魅力・秘訣と長期的な価値がそのまま付加価値となるため、安価にはなり難いという性質がある。だから、ブランドは高級志向であるという観方が生まれる。
ブランドの強烈な個性をビジュアルで表現すると、当然といえば当然ながら、そのロゴやグラフィックデザインは見た人の印象に残りやすい。結果として視覚的認知度が高くなるため、体裁だけを整えているといったような認識が生じる。
そしてまたブランドは、その存在とそれが有する価値体系自体が競合との大きな差別化要因となるため、商標として保護されうる。
人々に愛されるということはどういうことか?
そして、愛され「続ける」とはさらにどういうことなのか?
愛されるとは、言い換えれば、必要とされる・求められるということでもある。つまり、それにしか提供できない価値(それは例えば、クオリティの高い技術かもしれないし、こだわりの秘伝の味かもしれない)があり、なおかつそれが人々のニーズに合致しているということである。
そして、愛される前に愛したか?
この観点はとても重要だと思う。絶え間ない対話とは、時代性や人々が求めているものを常に観察し、それらと自身の持っている価値や存在意義を常に照らし合わせて、両者を擦り合わせる努力を惜しまないということでもある。
そういう点で、ブランディングにはマーケティングの観点が含まれている。
愛され「続ける」とはすなわち、時代が移り変わっても変わらず求められているということだ。しかし、時代が変わるというのは、そう生易しいことではない。それは、法律や規制などの社会的制度から価値観や慣習といった内的規範に至るまで、広範囲にわたって様々な物事が変化することを意味する。人々のニーズももちろんのこと変わってしまう。ではなぜそのような激動の転換期を越えて生き残っているブランドがあるのか?それは、そのブランドも、それが持つ価値や存在意義を柔軟に変化させたからである。これは、伝統と革新にもつながる話だが、逆説的に聞こえるけれども伝統というのは、時代に即して変化してきたからこそ伝統として今もなお生き続けている。伝統に革新あり。革新なくして伝統なし。ブランドにも同じことが言える。
ブランディングという仕事
ブランディングに従事する身として容易に認めたくないことだが、ブランドとは、作るものというよりも成るものであると言えるかもしれない。
自分と、そして相手と対話を積み重ねているか?
時代の流れを読み、その要請に応えようとしているか?
ブランドの起源(想い)とビジョンを保ち、それでいてなお変化し続けているか?
そういった観点と、いずれブランドに「成る」という信念と自負を持って、日々ブランドを磨き続けること、その長期的戦略性と地道な研鑽がブランディングという仕事なのではないかと思うし、私はこれからもそう信じ続けたい。
ブランド価値の向上が近頃ますます重視されてきており、ブランディングが経営戦略の一手段として認識され始めている。
しかし、もはやブランディングという観点は、それを戦略として選択するかしないかと検討されるようなものではなく、ほとんどすべての企業において必要不可欠なものなのではないかと思う。
あの天然温泉の経営悪化の背景に何があったのかは、言ってしまえば部外者の私にはわからずじまいなのだけれど、1つの要因として、ブランディングという観点が
抜けていたためでもあったのではないかと今でもひっそりと思っている。
ブランドやブランディングについて書きたいことはまだあるけれど、今日はここまで。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?