見出し画像

時代(1876字)

 地球の46億年の歴史の中で、一度人類が絶滅していることはご存知でしょうか。約二億一千年前のことです。
 アウストラロピテクスよりも、もちろんホモ類よりもずっとずっと前の時代。
 知らなくて当然です。なにせどこを探しても現代の資料には載っていませんから。
 なに、信じて下さいとは言いません。あったことをただ話すだけですから。

 その昔、海中で生まれた哺乳類は陸上へと活動の場を広げ、やがて猿人へと進化しました。
 二足歩行を覚え、手指を発達させた彼らの知能は代を重ねるごとに向上し、より結束力を高め、活動範囲を広げていきました。
 彼らは陸・海・空あらゆる場所で狩猟を行い、やがて道具や食料の加工さえ行うようになります。皆さんの習った人類の歴史と何ら変わりはないものかもしれません。しかしこれら二つの人類史には約二億年の開きがあります。さて、旧人類は一体どうなったのでしょうか。結論として、旧人類は滅んでしまったのですが、どうやって滅んだのでしょうか。

 旧人類は約十三万世代続きました。親が子を産み、その子が親になりまた子を産むというのを十三万回繰り返したということです。途方もない回数に思えますが、地球の歴史からすると随分と短い期間の話で、その痕跡は今や地球のどこにも見当たらないでしょう。いや、地中奥深くに骨の一本は残っているのかもしれません。

 寒さに襲われたわけでも、不作が続いたわけでもありません。
 活動範囲を徐々に広げる旧人類は、次々と未開の地へと進出していきました。知能が発達し、好奇心が行動力を生みました。
 野に分け入り、あらゆるものを食します。毒を食らい、死にゆくものも多くいました。
 それでも旧人類は進み続けました。それが彼らの性質だったのです。臆病さや注意深さよりも、底なしの探求心が彼らの原動力でした。

 よく晴れた日の午後のことです。
 空がひと際明るく輝きました。太陽が爆発したかのような眩さです。旧人類はこぞって空を見上げました。
 眩しく輝く太陽は、やや西に。それよりさらに眩しく、より大きな光が東の空にありました。
 それは太陽が沈んでもなお輝き続け、丸一日以上も地球を照らし続けました。
 物珍しさから彼らはその光に見とれて、ある一団はその方角へ向かいさえしました。
 さて、その光が一体何だったのか彼らが知ることは叶いませんでしたが、光は確実に彼らに影響を与え、死に至らしめました。それは大変に有害な光線だったのです。

 しかし、死の光が降り注ぐ世界の中で、生き延びた個体がごくわずかにいました。
 彼らは旧人類の中で、集団性を持たないかなり特殊な個体でした。光の危険性を直感し、臆病さから森の奥深くに逃げ込んだ彼らでしたが、それでも死を免れられたのはわずか数体でした。
 そして彼らはまた、別の理由により息絶えたのですが、これはまた何とも意外な理由によるものだったのです。

 最後の一体を、「N」としましょう。
 Nはとりわけ単独を好む個体でした。ある程度成長をすると、Nは群れを離れ、完全に一人で過ごすようになりました。
 森の中で昆虫や木の実を食べて日々を過ごし、群れの姿を遠巻きに眺めたりしました。そこに羨ましさや寂しさは無く、なにか別の種族を見ているようにさえ思えました。
 そしてあの日、強い光に襲われ、次々と死に絶えていく群れの人々を見ました。
 一時体調を崩したものの、Nはまた一人で日々を過ごし始めます。
 木に登り、あるいは土を掘り、食料を探す。これまでと何ら変わらない毎日です。
 しかしNは徐々に、確実に弱っていきました。

 何が原因か、Nは気が付いていませんでした。
 食料は足りていて、怪我も病気もしておらず、あの光の影響ももうありません。
 次第に憂鬱になり、食うことさえ億劫になり寝てばかりいましたが、ある日突然叫び声を上げて大木に頭を打ち付け、死んでしまったのです。

 Nは孤独を始めて味わったのでした。
 彼に仲間は必要なかったはずでした。孤独には慣れていたはずでした。
 しかし、彼にとってそれは孤独ではなかったのです。
 森の中から眺める群れの姿は、むしろ彼を安心させるものだったのです。
 一人きりであっても群れの一員だということを、当時は気が付いていませんでした。
 そうして旧人類は途絶え、彼らの時代は幕を閉じたのです。



 さて、果たして今の人類はどうでしょうか。
 それぞれの住む森が自身の身を守るものではないことに、気が付くのでしょうか。孤独でないうちに孤独でないことに気が付くのでしょうか。
 近い未来にまた人類が滅ぶその日までに



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?