満里奈
「かわいいの暴力」
そう言いながら、フリフリの格好をした大きな体型の女が夜職風の男を殴っている。
女の打撃は力任せで、美しいとは言い難い。
腕や体の回転は「ねじれ」でしかなく、着弾したそばからその威力を各関節から逃してしまっている。
それ故女の攻撃力は大幅に減算され、消費熱量は必要以上に大きい。加えて、誤った運動のおかげで体の各部を痛めている。
それでも女が殴ることをやめないのは、交感神経を興奮させる大量の神経伝達物質が分泌されているおかげである。
一度でも止まってしまえば、女はこれ以上暴力を振るえなくなってしまうかもしれない。
「やめろ」
掌を突き出して男は打撃を散らさんとしている。
当初、男には余裕があった。
運動不足の女なんぞに一発や二発殴られたところでなんということはない、と舐めてかかっていた。
事実、女の攻撃は粗削りで、大きな予備動作のわりに大した威力はない。とにかく抑え込んでやろうと考えていた。仕事柄、多少のトラブルには慣れている。
打撃を受け止め、あるいは受け流す。そのうち女の方が疲れてへたり込むだろうと踏んでいる。
「かわいいは正義」
女の顔が赤みを帯びていく。疲労からか、あるいは興奮からか。
女の打撃は徐々に攻撃力を増している。野次馬のいくつかは、女の成長に気付いている。ミリオンダラー・ベイビーと呟く。
先ほどまでは肘や手首から逃げていた力が、被弾した男に着実に加算されていく。質量と速度が徐々に男を劣勢にしていく。
女の打撃が男の腹を、脇を、頬を捉える。
野次馬も警備員も警察官も、固唾を飲んで見守っている。
どちらが被害者でどちらが加害者なのかなどという陳腐な天秤は、後方の野次馬の足元でねじ曲がって壊れていた。
男はピンボールよろしく右へ左へと吹き飛ばされ続け、敗れたスーツが旧時代のロック歌手を思わせる。
やがて男は抗うことをやめ、地面へと転がった。
「かわいいは、作れる」
自らも膝から崩れた女は、そう呟いた。手首から先がまだら模様のように赤黒くなっている。
一部始終を見ていた流行雑誌の編集部の女は、新時代の訪れを感じずにはいられなかった。
新たな路上の王の誕生を目にした浮浪者は、敷き布団代わりのダンボールに、街の勢力図を書き直していた。
固唾を呑んで見守っていた勤務外の医者は、宮崎駿の新作と全く同じ展開だ、と誤診していた。
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