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魚で(1497字)

「うちの魚が喋ったわよ」と友恵さんが言うので、舞さんと二人で見に行くことにした。

「喋るってどういうことかしらね。ミキちゃん、聞いたことある?」
「いえ、全く」
 パート先で手に入れた手土産を持って、友恵さん宅へ向かう。
「犬とか猫とかだったらわかるけど」
 犬とか猫とかでも喋るのは見たことがないけれど、無粋だと思って「そうですねえ」と返す。

 友恵さんはエプロン姿で私たちを出迎えた。なにやら作りこんでくれているらしい。
「お土産あるからいいのに、ほら」と舞さんが言うと、「あらあんたもう、わざわざ気を遣わないでいいのに」と友恵さんが返す。二人は小学生時代からの幼馴染だ。
 リビングに入ると、西側の壁際に大きな水槽が構えている。どうも釣り好きの旦那さんが、食べるか迷うサイズの魚を持って帰って来て生かしているらしい。水槽兼生け簀だ。
「この中にいるのかしらね」
 ほら、こんにちは、と舞さんは魚たちに向かって話しかけている。友恵さんはキッチンとダイニングをすばしっこく行き来して、次々とテーブルに料理を並べていく。

「どうもすいません。すごい、こんなに」
 促されて席に着くと、雰囲気のいい定食屋さんのようなメニューが湯気を立てて待ち構えている。
 私たちはしばし来訪の目的を忘れて、料理に舌鼓を打った。父母会の会長をしている友恵さんは誰に対しても面倒見がよく、だから料理くらい少しは不得手でもいいだろうに、やはりそこもぬかりないのか。
「ほんとにおいしい」
 ほんの少し劣等感を覚えながら、降参代わりに素直に呟いた。

「それで、喋る魚はどれなの」
 料理をすっかりたいらげてから、舞さんが聞いた。
「食べたじゃないの」
「え」
「なんで。いつよ」
 私たちは驚いて聞いた。
「今よ今」なぜか友恵さんの方も驚きながら言う。「その焼き魚じゃないの」
「どうしてあんた……。犬とか猫とかだったら……ねぇ……」
 舞さんが意味不明なタイミングで行きしなのセリフを繰り返した。

「だいたい、喋るって何よ、その魚、ぬえだったんじゃないの」
 ねぇ、と舞さんは私に同意を促す。
「鵺ってなによそれ。鵺じゃないわよ。クエよ」
「食えってなによ。食ったじゃないの」
「食ったじゃないわよ」
「え、食ってないの?」友恵さんは立ち上がって私たちの皿を覗き込む。「食ってるじゃないの」
「食った。食った食った。そういうことじゃないわよもう。なによ、喋るって言うから来たのに」
「喋ってるじゃないの。今」
「ああ、もう、違う。噛み合わないわよ……」
「なんなの、もう」友恵さんはため息をついた。「主語が抜けてるのよ、あなたは」
「だから、ク・エ!」
「食ったでしょって!」
「もういや!かみ合わない!」
 言いながら舞さんはどん、とテーブルを叩いて、友恵さん宅を飛び出して行ってしまった。すごくかみ合っていたのに残念だ。どちらかというとぬえじゃなくてくだんじゃないかとは思ったけれど、今さら言ってもしょうがない。

 少し待ってみたが、結局舞さんは戻ってこなかった。喋る魚も見られなかったし、残念だ。
「捌くときになにか喋ってましたか」
 まったくしょうがないんだから、とぶつくさ言いながら食器を片付ける友恵さんに、私は聞いた。
「私が?」
「いえ、魚が」
 問いかけに押し黙る友恵さん、小難しい顔をしたかと思ったら、突然きゃっきゃと笑い始めた。
「なによミキちゃん。あっはっ」友恵さんは涙さえ流している。「水中で捌いてるんじゃないんだから。あははっ」
 まずい。
「水中ですか?」
「今?」
「違います」
「違うわよね」
 水中ぐらい自由が利かない。もしかしたら水中かもしれない、と思った。




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