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私の灼熱(931字)

 自室でパソコンに向かっていると、ベランダの方からなにやら落下するような音が聞こえた。
 かかっ、かしゃん。
 記憶の中のベランダで、音の正体を探す。
 金属感がなくて、軽い。物干し用のプラハンガーが浮かぶ。いや、もしかすると、黒い樹脂でコーティングされた針金ハンガーかもしれない。いやいややはりあれは芯のない音だったか。

 ほんの少し、記憶の中に視線を巡らせて考える。違うな。
 ハンガーにせよ、他の何かにせよ、恐らく我が家の物ではない。落ちそうな置き方をしているものが思い浮かばないし、なにより風も強くない。
 すぐに隣室の方で音がした。やっぱりうちじゃなかった。無駄な動きをせずに済んだ。大したことではないけれど、推理を当てた喜びを味わう。

 しばらくするとぽつぽつと音が鳴り始めた。
 今日は晴れの予報だったのに、通り雨でも降っているのか。
 隣室の誰かさんは気が付いているだろうか。物干しをしていたなら取り込まないと。
 ぽつぽつ、ぽつぽつ。
 ふと考える。
 どれくらいの雨量から、私たちは雨音を捉えられるのだろうか。窓を閉め切った部屋の中からでも聞こえる雨音は、きっと小雨ではないはずだ。
 いや、雨量というより重要なのは雨粒の大きさとか、あるいは周りの環境か。
 波トタンの屋根だったりアルミの手すりだったり、そういうものにぶつかればたった一滴の雨粒でもちょんと音がする。また、霧雨のような細かい雨に音のイメージはない。
 ぽつぽつ、ぽつぽつ。
 雨音は変わらず室内に紛れ込む。
 そうだ、洗濯物。
 隣室の誰かさんにせっかいを焼いておきながら、自分だって洗濯物を干していたことをすっかり忘れていた。私はついに立ち上がり、ベランダに向かう。

 ハンガー三つと大きなスペースを占拠した夏用のタオルケット。気力を練ってようやく洗ったのに。
 ベランダに出て、空を仰ぐ。
 おや、雨なんて降っていない。広がる晴れ間。
 ふと気が付いて、大急ぎでキッチンに。
 ぽつぽつ、ぽつぽつ。
 コンロの上、随分と量が減って焦げ付いたじゃがいものポタージュスープ。
 二日目でとろみが強くなったスープが、マグマのように静かに沸き立っている。
 このおっちょこちょいさんめ、と自分を可愛がって、今日も百点の生活を送る。




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