見出し画像

なぜスポーツ指導の体罰、暴言はなくならないのか? 生存者バイアスの罠

昨年末、中学時代の同級生と忘年会を開いた。10年以上続く毎年の恒例行事で、今回も酒を飲みながら昔話で盛り上がった。

同級生はいずれもバレーボール部のチームメートで、1969年(昭44)生まれの我々は、体罰を伴うスポーツ指導を受けて育った。当時の部活動では当たり前のように体罰が存在していた。

中学時代の目標は全国制覇で、練習を休むのは元日の1日だけ。あとは朝から晩まで猛練習に明け暮れ、ミスをすれば平手打ちや蹴りが飛んできた。

週末の練習試合は特に体罰がひどく、口の中が切れて食事も困難になり、ユニホームが鼻血で真っ赤に染まる日も珍しくなかった。

3年夏には県大会や関東大会で優勝し、全国大会でもメダルを獲得した。厳しい練習を乗り越えて部活動を全うした経験は、誇りでもあり、いい思い出でもある。恩師に対する尊敬、感謝の念も強い。

忘年会はいつも、そんな思い出話で盛り上がる。

しかし、もう40年も昔の話である。恩師や仲間との思い出を否定するつもりはないが、だからといって当時の指導法、練習法が正しいとは思わない。

それは全く別の話である。

昨年、スポーツ界における「体罰」「暴言」をテーマに取材した。

近年、スポーツ界から暴力を排除しようという動きは活発化しているが、今なお事件は相次いでいる。暴行により指導者が逮捕される事案もある。

2023年4月25日は、スポーツ5団体が「スポーツ界における暴力行為根絶宣言」を表明してから10年という節目だった。5団体とは、日本スポーツ協会、日本オリンピック委員会、日本障がい者スポーツ協会、全国高等学校体育連盟、日本中学校体育連盟である。

宣言の前年となる2012年12月23日、大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将が、顧問を務める教員の体罰を苦に自殺をした。また、翌13年1月には女子柔道界で、指導者による暴力行為が表面化した。これらが宣言へと結び付いた。

10年という月日を経ながら、なぜ、スポーツ指導における体罰や暴力がなくならないのか?

取材していく中で、「生存者バイアス」というキーワードに出会った。バイアス(Bias)とは、簡単に説明すれば「認知のゆがみ」である。「真っすぐ」なものを「曲がっている」と感じるなど、現実と認知に「ずれ」が生じる状態を指す。

つまり、体罰や暴言を伴うスポーツ指導を受けてきた者は、その体験を「正しかった」「価値があった」と思い込む。

たとえば100人中99人が体罰により離脱したとしても、残った1人は自身の体験を正当化し、離脱した99人に目がいかない。

正直に書けば、私の中にも「生存者バイアス」がある。厳しい練習、指導に耐えて、大会で結果を出し、いい思いをした。その体験を正当化したい思いは否定できない。

ただ、私のように生存者バイアスを持つ者こそ、暴力暴言の排除に対して積極的に動くべきだと考えている。

自身の経験をそのまま次世代に伝えるのではなく、新しい形に転換して未来へつないでいく。その責任があるように思う。

大上段からの批判ではなく、自分の生き方を見直すつもりで、11回に及ぶ連載を書いた。

連載の題名は「マフィア指導を撲滅せよ」。各回のラインアップは次の通りである。

①「知ってるぞ。日本はマフィアがコーチしているんだろ」

②圧のかけ方が陰湿化 暴力、暴言が巧妙に形を変えて

③ 危ない暴言、目撃しただけで脳にダメージ…医師指摘

④通報も一手 体罰や暴言を受けたら 学校?協会?警察?

⑤「シバいていい」 なぜ親たちは我が子の被害を黙認するのか

⑥大谷翔平WBC決勝での名ペップトークに学ぶ

⑦ 免許制の提言 「アスリート・ファースト」 ではセカンドは?

⑧「失敗」の時間を 脱マフィアできた、ある野球コーチの体験

⑨ 叩かない名将 一度も手を上げずに日本一4度、高校バスケの名将は

⑩ホワイト学院 ホワイトで勝つ方法とは 教える学び舎誕生

  ⑪大谷が、ダルが…侍ジャパンに凝縮されたスポーツのあり方

現状把握や批判だけではなく、指導の現場で活用できる具体例を意識して書いたつもりだ。

我々スポーツメディアには、勝者、スター選手を追うばかりでなく、スポーツ界の未来を考える役割もある。それを忘れてはならない。