ROXX社が上場した
本日9月25日、ROXX社が東証グロース市場に上場した。上場とは資金調達の円滑化を目的とした、企業を成長させる手段のひとつに過ぎず、それ自体を祝うものではないという指摘を甘受しつつも、ここは「おめでとう」という言葉を僕は送りたい。よくぞここまで。社歴や事業変遷などは今後各所で語れることになるだろうから、この日記エッセイでは、同社に関する僕の個人的な観察と感想を記載する。
共同創業者であるナカジマ氏・ヤマダ氏との出会いは2013年春にまで遡る。彼らは20歳、大学3年生だった。こちらは27歳。僕の会社で働くバイトの大学生が、「後輩に起業したいと言っている変わり者がいるので相談に乗って欲しい」と持ちかけてきたのがきっかけである。当時僕の仕事場は南青山にあって、彼らの通う青学と近所であったことから、了解するとすぐに会いに来てくれた。
細い体に不思議なファッションを纏い(のちにそれがロックスタイルと知る)、ギラついた眼で野心漲るナカジマ。目にまでかかる伸び放題のぼさぼさ髪に毛玉のついたオーバーサイズパーカ姿の、ぼんやりした無口ヤマダ、そしてその時にはもうひとり、きちんとした身のこなしの若手ビジネスマン風の好青年がいたのだが、彼はすぐに離脱した。面会の趣旨として、はじめからナカジマ氏は、「史上最年少での上場を目指したいです」とはっきり言っていた。当時はリブセンス村上氏の25歳が最年少であると話題になっていたから、あと4-5年くらいだな、と算段したのを覚えている。彼らの理想する未来や質問に対し、僕は思いついたアドバイアスをいつものように淡々と投げ返した。見た目の派手さとは異なり、受け答えは思いのほか冷静で地に足ついたものであった。そしてよく人の話を聞く素直さがある。
しかしまだ大学3年生、そういった夢を無鉄砲に追い求めがちな年頃である。具体的な行動には至らないだろうと思っていたのだが、半年後の2013年秋には会社を創業し、人材系サービスの開発を始めてしまった。ここではじめて彼らの本気を知る。いつまで経っても行動に出ない人間ばかりの中、この一歩が彼らの人生を変えた(参照: 『すぐにやらない者は、ずっとやらない』)。きっと他の多くは、去っていった”3人目の共同創業者候補”のように、普通に就活して新卒カードを手にサラリーマン人生を歩む道を選択するのだろう。あえて起業を選択した、ここが分かれ道だった。繰り返し、この一歩が全てである。何よりも価値がある。
設立以後2018年頃までの管理仕事は、僕のチームで担った。当初の社名『RENO』。以後、何度か改名し、現在は『ROXX』に至ったわけだが、僕は未だ『RENO』のほうがしっくりくる。あのくすんだ不気味な青緑色のコーポレートカラー、懐かしいじゃないか。現在は優秀なスライド生成者として有名な(なのかな?上手いよ)ナカジマ氏だけれど、当初のものは、黒背景に用紙枠いっぱいの白抜き大文字、そしてフリー素材のオフィスで働く外国人画像を多用していた。
最初の事業は失敗だった。時間を埋め、カネを稼ぎ、そして技術を磨くため、ナカジマ氏は人材系の営業代行やコンサルティングを担い、ヤマダ氏は、なんと僕の会計士事務所でバイトをはじめた。あれは2014年春頃。ヤマオカが監査法人からこちらへ移ってきた時期である。神経質な僕の指示のもと、2人が並びキャビネット整理作業に従事する姿を思い出す。帳簿づくり、経理、労務、法務など、領域横断的に管理雑務を手伝ってもらった。
そこで僕はヤマダ氏の才能に初めて気がつく。それと判別しない微笑を常に浮かべ、表情変えずほとんど喋らず、とにかく何を考えているのかわからない若者であったが、モノの道理と構造を容易く把握し、見えないものを観る想像力に長け、なにより、手がよく動く。僕と同じ財務・管理の道に進んでも、職人としてきっと大成したことだろう。もちろん、それは彼にとって活躍の場が小さすぎる。手の動く、本当の意味での「事業も管理も」こなせる最強のCOOとして、スタートアップをIPOに導くポジションが最適であったのは自明だ。
ちなみに。ナカジマ氏には、デザインワークをお願いしていた。特に2014年はゴジョウを共同創業した年であり、同社の名刺新規作成・内容更新事由があるつど、彼にバイトとして発注した。いまや上場企業の社長が作成していた名刺である。懐かしいね、とても。
彼らがバイトを続けながら事業開発に挑むのを、僕は眺めていた。『SCOUTER』というサービスを掲げ、複数のファンドから調達に成功した時期。当時神山町の奥にあった古いマンションの一室に設えられた彼らの事務所を訪問した際の光景は忘れられない。狭い玄関に散らばる、大量の汚いスニーカ。1LDKの1室に置かれた小さな机に所狭しと詰めて座る、髪色豊かな若者たち。布団や寝袋が乱暴に積み上がっている。「打ち合わせ部屋はこちらです!」と案内されたのは台所前のダイニングテーブルであり、カップラーメンやレッドブル(ナカジマ氏の大好物)が山積みのその空間は、何らかの悪どい商売を担うヤカラのアジトのようであった。僕にとって、ROXX社の原風景はこの神山町の一室にある。あの場所から少しずつのし上がり、今や地下駐車場と受付まである一級オフィスビルに入居しているのだから、やはり起業は面白い。
SCOUTER事業がそれなりに軌道に乗って、再度の調達に成功した彼らは、渋谷ホームズという、区役所隣接の、多くの小規模事業所が入居する大型集合住宅に移動した。木床にランプ照明、壁を黒く塗って、隔離された会議室もある。各所にナカジマ氏の趣味であるスターウォーズなどのフィギュアが配置されていた。ギターも置いてあった。いわゆる”スタートアップ感"の溢れるオフィスである。ひとつステップを登ったカタチだ。事業規模が拡大し管理仕事量も増え、仕事場がそれなりに整ったことから、僕の事務所から週に2-3日、半日ずつ、スタッフを置くようになった。空間の居心地がよく、自社メンバの様子を見に行くなとど理由をつけて、この頃は頻繁に僕も顔を出した。奔放かつ穏やかで温かい空気が流れていた。良いオフィスだったね。先日の建物取壊しというニュースには、どこか哀愁を感じた。
監査法人を紹介して引き合わせたのもこの時期であった。ショートレビューのディスカッションや受注可否のところで色々と示唆を差し込んだ記憶はあるのだが、具体的な部分はさっぱり。いま有報を確認したところ、そのままの監査法人で上場したようである。それはよかった。
この段に至っても、未だ満足する事業成長は得られなかった。そこでヤマダを中心に、様々な事業開発に挑んだと聞いている。スカウタ以外に『サーディン』という事業部用の部門仕訳を用意して(IDは"SD"だったね)、予実モデリングを生成した記憶がある。ニシン…?アレは一体どうなったのだろう。2018年頃には同社内にプロパの管理部員を雇い入れることになり、僕達は同社の仕事から身を引いた。また、同年後半に僕が会計士仕事自体を引退することになり、以後は株主として、月次の事業報告を楽しみに待つのみの関係に留まることになった。ナカジマ・ヤマダ両氏とは友人関係(僕は勝手にそう思っている)を続けつつ。はるばる僕の居住する森の中まで、ご家族でお越しいただいたり。
一度赤坂のオフィス訪問を挟み、昨年、社員集会イベントにナカジマ・ヤマダ氏と一緒に登壇して欲しい、と依頼された。それで先に記載した一流オフィスビルと、200名を超えるという社員数に驚かされた。鬱蒼アジトから、”ちゃんとした”グロース企業へ。そしてこのたび上場に至った。こうしてスタートアップの成長ストーリーを観察させてもらったことを感謝している。勝手なことを言えば、簡単な道ではなかったからこそ、外野からは非常に見ごたえのある挑戦であった。
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3点、感想を述べる。
何度失敗しても諦めず、当たるまで事業開発を続けたことが、何よりも素晴らしい。祖業の失敗とジリ貧化に直面してあっという間にバンザイして会社を潰してしまう”スタートアップ”が頻出する中、彼らにその選択は当然想定されず。日銭を稼ぎ食いつなぎ、valuationを下げてでも調達を重ね、打席に立ちバットを振り続けた。上場時の株主構成を見た一般投資家が「バラバラ、投資家多すぎ、創業社持分少ない」などと評価しているのを目にしたがそれは、同社が何度も挑戦を重ねた証である。
管理仕事を担っていると、給与計算や経費精算を通じ、社員の名前を無意識に覚えてしまう。今回、上場に際して役職者の氏名をみて、闇アジト時代のメンバが多数残っていることに驚いた。彼らはナカジマ氏の幼馴染であると聞いている。不調時に辞めず、結束が固い。共同創業両名ばかりが取り上げられるが、古参メンバのみんなも、よく粘り、頑張ったと思う。コダイラ、ウエキ、キクカワ、コンドウ、いつも帳簿上で名前だけは見ていた。素晴らしいよ。去年再会できたときはとても嬉しかった。また、従業員がその配偶者を誘い入社させたり、社内結婚も既にいくつもある。独特の居心地良さがあるのだろう。”配偶者を誘いたくなるような会社”という素敵な評価。
最後に。ナカジマ氏は、「起業したいから起業した」ピュアな起業家である。起業のプロセス自体を心から楽しんでいる。事業に失敗するのも、狭いオフィスでの雑魚寝も、成長して仲間が増えるのも、人間関係に彩りが加わるのも、そして上場もまた『起業』という楽しみのひとつ。これからは、資本市場に揉まれ、機関投資家と折衝し、株価対策に奔走、M&Aに取り組み、海外進出に挑む、などといったイベントが待っている。今はきっとわくわくしていることだろう。『上場ゴール』なんて言葉とは全くの無縁。ゴールなんてとんでもない、新たなステージに突入し、楽しいのはここからじゃないか。需給悪化による株価低迷や成長鈍化などの壁にぶち当たることになるかもしれないが、前述の通り、彼らならばその都度、諦めず、成功するまでやり続けるはず。何が同社の強みかというと、結局、そこに尽きる。
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ナカジマ氏とヤマダ氏はよく、「人生で最初に話した大人がnagabot氏だった」と仰る。素直でアドバイスをよく聞いてくれる反面、これで彼らの学生起業が大失敗に終わり、いまもあのアジトで同級生とバイトで食いつなぐ日々を送っていたら、こちらも多少は目覚めが悪い。もちろん今回の過程的成功は99.999%彼らとチームの努力と運の成果であり、僕が何か支援をしたなんて一切思っていないのだが、せっかく誘ってくれたのに「ガラじゃないから」と断わった、今日の上場イベントに参加したヤマオカが送ってくれた彼ら3名の写真をみて、何だかホッと安心したものである。
よかったね。これからもがんばって。
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