誰が事業を担うのか

経営者・個人事業主など(以下、経営者等)から事業内容について相談を受けた際、僕が用いる理屈の基礎構造を説明する。特に経営者等の資質が事業に決定的な影響を及ぼす程度の、小規模事業に限るものとする。

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経営者等の視点では。事業は、自分でやるか(1)、人にやってもらうか(2)、このどちらか。

人にやってもらう(2)には、他人を評価する目(2-1)と、当該他人にモチベーション高く働いてもらい続けるように管理する能力(2-2)、いずれも必要だ。

他人を評価する目(2-1)には、人間として信頼できるか(2-1-1)、および、能力が充分量あるか(2-1-2)、これら2つの評価が含まれる。前者2-1-1は経験・資質・基礎思考力。後者2-1-2は専門知識が、経営者等に必要だ。例えば、良い会計士を雇うためには、その者が、情報漏えいをしない・セクハラなど労働問題を起こさない・資産流出をさせないかどうか。かつ、会社の様々な経営管理上の問題を解決できるかどうか。それを正しく評価しなければならない、ということだ。

他人にモチベーション高く働いてもらい続けるように管理する(2-2)ためには、その人が同社で働く意欲の源泉を、正しく把握する必要がある。カネ・能力向上・楽しさ・対人関係・プライベートへの不干渉。もちろんそれらは択一ではなく、複合的に絡んでいる。どういった状況を社内に構築・維持すれば、信頼できて能力のある(2-1)人間が、辞めず役務を提供し続けてくれる(2-2)のか。それを正確に把握・実行し続ける能力が不可欠だ。また、少し具体な論点として。他人に任せると、給料を払わなければならず、固定費が膨らむ。損益分岐点が上がり、事業継続に必要な利益幅が拡大。そのことが事業の選択肢を狭める。働いてもらい続ける能力(2-2)には、この稼ぐ能力も含む。

人に任せるための条件である前述の能力(2)が経営者等自身に不足している場合は、経営者等が、自分でやるしかない(1)。自分でやる(1)ためには、基礎思考力(1-1)・専門技術(1-2)・情報(1-3)、これらすべてが必要だ。

基礎思考力(1-1)とは、想像力、つまりは見えないものを見る力である。情報の網羅性と正確性を担保しつつ、それらを分析し、将来を予測する。この能力に不足があれば、解くべき問題・事業が目指す方向性を誤って設定してしまう。意味のない努力に時間とカネを投下することになる。

専門技術(1-2)とは、意図どおりの成果を挙げる能力のことである。スイーツショップの開店を志し、その地での需要に(仮に)合致したティラミスを主商品に据えたとき。当人にティラミスを作る技術がなければ、事業は失敗する。人に頼ろうとしたときには、前段の(2)へ議論が移る。

情報(1-3)。基礎思考力(1-1)と専門技術(1-2)は、情報を材料として成果を編み出す道具である。正確な情報がなければ、基礎思考力(1-1)と専門技術(1-2)が充足されていても、思い通りの成果には至らない。市場調査の結果レポートに誤りがあれば、その後の需要分析や顧客ニーズの把握、商品開発のすべてが台無しになる。砂糖と牛乳の仕入値データが事実と異なれば、ティラミスを売るほど赤字が累積する。正しい情報を得るための基本所作は、自ら1次情報を手に入れることである。具体的には、現場に行って、現場を見ること。顧客の話を聞くこと。2次情報を利用する際は、正確度の高いものを用いる。少しでも正確度が高まるよう努力する。もちろんそれは、一時的では意味がない。変化した事実それ自体も重要な情報だ。継続的に情報を確保する。逆に、基礎思考力(1-1)と専門技術(1-2)を発揮するために不可欠な情報が正確・網羅的・継続的に収集できないのであれば、その場合は事業モデルを修正する。どんな屈強な兵士でも、暗視スコープなしに暗闇では闘えない。

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失敗の原因を探ると、前述の構造(1・2)のどこかに欠陥が見つかる。人を見る目がないのに、人に任せて失敗。技術がないのに、自分でやって失敗。自分で一次情報を獲得するための現場調査をおこなわず、もしくはさっと表面を眺めるだけの視察にとどまり、結局は第三者からの報告やレポートだけを頼りに事業を進めて失敗。

確かに、自分でやるより、人に任せたほうが楽だ。技術を身に付けるのは時間と根気が要求される。自分の技術を疑う、もしくはそれを社会に晒し相対的に評価されるのは心苦しい。できれば盲目的に信じたい。自分が「知りたい」「こうあってほしい」と想像する情報がアタマの中にまずある。それを探す。見つかればそれで終わり。現場を、事実を知らないまま、気分の良い情報を信じて事業を進める。

特に複雑な構造でもない。欠陥があれば失敗するであろうことは、僕でなくても想像できる。それを指摘すると、多くの場合、「やってみなければわからないじゃないか」などと叫ばれる。いや、やる前にわかることのすべてを徹底的に考えるべきだ。そして時間を掛けて準備する。技術がないなら研鑽を。情報が足りなければ調査を。少なくとも、他人の技術に依存した事業で、かつ、当該技術の評価を自身ができないのであれば、それは看過できない不確実性ではないか。もしくは、「じゃぁ無理です」と返答されるパターン。そのとおり、そもそも、無理なことを目指しているのではないか。僕が相撲取りを志すのが到底不可能なことと理屈は同じだ。

もちろん、これは、期待値の問題だ。構造に欠陥があっても、必ず失敗するわけではない。当たり前のことだが、構造自体、僕の勝手な理屈に過ぎない。目をつぶってギャンブルに全財産を賭けても、一定の確率で成功することもある。それに希望を見出した挑戦を、身体を張って止めようとは思わない。しかし、会話の場を設けられた以上、僕はきちんと理屈を以って止めようと努力する。嫌な奴だと思われても、自分の理屈を伝える。それが、僕なりの誠実性だ。

反対したい気持ちはトレースできる。せっかく思いついたこれから取り組むことを否定されたくない。どちらかわからない不確定要素は自分の有利側に推定したい。構造を緻密に考えるのは面倒だ。自分でやるのは大変だから人に任せたい。正確な情報把握には時間がかかるからショートカットしよう。そういった感情は理解ができるけれど、その1つ1つが成功の期待値を下げる。

最後に。構造に欠陥がないからといって、成功するわけではない。要件を満たし、はじめてスタートラインに立つ、という程度のものだ。そこでやっと意味のあるサイコロを振ることができる。面倒で大変だけれど、面倒で大変だからこそ、価値がある、ともいえる。

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補足。

基礎思考力(1-1)に不足があるとき。専門技術(1-2)のように、人に頼ろうと前段の(2)へ議論を移す際。よくみられるのが、外部のアドバイザ・コンサルのような職能に頼るという形態だ。広義には、僕のような人間もそこには含まれる。これらによる解決の期待値は、彼らの能力とともに、情報(1-3)の量と質に重要な影響を受ける。彼らが情報(1-3)を充分かつ継続的に確保できるのであれば、有用かもしれないが、しかし、観察する限り、外部という構造上、それに至るのは困難だ。基礎思考力(1-1)の代替を外部に頼るのは危ういと僕は思う。

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