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本当の自分と向き合うということ

私の中にはもう一人の人格が存在している。
名前は「あきちゃん」。
意図的に公にしていないので知らない人も多いが、本名だ。
幼少期のエピソードを聞くと、あきちゃんは純粋で繊細で、どんな立場の人にも優しくて愛に満ちていて、好奇心旺盛でマイペースで真っ直ぐな目を持った人間だ。
そして「我が家の太陽だ」と両親に呼ばれていた過去がある。
そんなあまりに純粋で真っ直ぐな性格と、HSP特有の繊細さや空気を読む特性、加えて私にとって厳し過ぎる家庭環境の中で育ったこともあっていつしか「ありのまま生きること」に苦しむことになる。
明らかに他の人とは違う異質なものを持って生まれた私を見た母は私が2歳の頃に「この子は普通の生き方はしないだろう」と確信したそうだ。
そんな所謂「変わった子」の私は生きにくさに加えて心から安心して生きる場所さえ無くしていくことになる。
学校や友人間はもちろんのこと、家族の中でさえ自分の居場所がないような状態。
世間体を気にする父からは「目立つことをするな」と釘を刺され、素直なあきちゃんはその言葉通りに自分の個性を隠すようになっていった。
今思えば、世間から好奇な目で見られないようにするための「愛」だったのかもしれない。
世間と自分の中の価値観のギャップで苦しみ続けた私は、自分の心を守るために空想の町である「あなぐまち」を創り始めることになる。
当時飼っていた犬の「ペス」と「あなぐまち」だけが自分の本音を話せる居場所だった。
物心着いた頃から「ありのままでいると価値がない」「頑張らないと価値がない」と自分のことを責めたり鼓舞する毎日で、休んでしまうと私の価値が無くなって全てが終わってしまうような、そんな強迫観念の中で生きてきた。

話は変わって「つん」という名前は12歳の時に同級生が名付けた「つーちゃん」というニックネームが変化したものだ。
苗字の「つつみ」から名付けられた「つん」というニックネーム。
私自身もとても気に入っていて、積極的に名乗っていくことで「つん」というもう一人の人格が形成されていくことになる。
名前の響きや「こんな人になりたい」という私の憧れもあって「誰からも好かれる人気者像」としての「つん」という人物像が出来上がっていった。
もちろん、根底には「あきちゃん」がいるので「つん」という人物像に影響しているのだが、「つん」という人物は「あきちゃん」が行動出来なかった様々なことを代わりにやってくれた。
おかげでたくさんの友人知人と楽しい時間を過ごしたり、「あきちゃん」ではきっと見られなかったであろう世界を見せてくれた。

そんな環境に居心地の良さと、「あきちゃんを世間の怖いものから守る」という使命感と共に、私の心の中の「あきちゃん」という存在はどんどんと小さな部屋に閉じ込められるようになっていった。
窓もない、真っ暗な狭い部屋でいつも体育座りをしていたあきちゃんはいつも俯いて膝を抱えていた。
「どうして表に出たらいけないの?どうしてありのままで生きちゃいけないの?」と訴えて来ても「あなたを守るためだよ」と「つん」は説得するのだ。
「つん」という鎧があきちゃんのいる小さな部屋の周りをどんどんと頑丈にしていき、あきちゃんの声はどこの誰にも、そして私自身にも届かなくなっていった。
それがあきちゃんを守る上で最善だと信じていたからだ。

学校でもバイト先や正社員で働いた会社での同僚や上司やお客さんでさえ「つん」と呼ぶので、いつしか自分の名前が「あき」だということも忘れてしまうくらい。
自分の本当の名前を見ると嫌悪感を抱くくらい、「つん」という名前が自分の中で浸透していた。
実際に「あきちゃん」と呼ぶのはこの世界に30人もいないだろう。
昔から私を知っている親姉弟やいとこなどの身内と幼馴染くらい。

そんなことが30年も続いた最近のこと。
3ヶ月ほど休みなく制作三昧の日々を過ごした後、燃え尽き症候群のような状態になった。
そして、心の中の「つん」と「あきちゃん」が完全に解離することになる。
いつもどんな時も「つん」が強かったのに「あきちゃん」が珍しく強く主張する。
「お願い!私をいないことにしないで!私はここにいるよ!悪いことをしたわけでもないのにどうして私を隠すの?」と訴えるのだ。
いつもなら「あなたを守るためだよ」と言っていたつんも素直に向き合う覚悟を持つことにした。
たくさん頑張って誰かに認めてもらうこと、誰かに愛してもらうこと、そんな外側ばかりに目を向けても満たされることはなかった。
きっと心の中の「ありのままのあきちゃん」を認めて愛してあげていなかったからだと思う。

今年の3月に参加した星月学級の主催の方が私の話を聞いて「ここまでの純粋なものをこの年齢になるまで持っていられたことが奇跡だと思う」という趣旨の話をされて、これは「つん」という人物が大切に守ってきてくれたおかげなのだと思う。
外部からのどんな影響も受けずに42歳になった「あきちゃんの純粋な核」は母が見た2歳の頃のまま存在しているのだと思う。
あとどのくらいあるのかわからない私の残された人生、「あきちゃん」にも太陽の光を浴びさせてあげたい。
ここからは、いつかの「我が家の太陽」と言われた言葉の通りの人生を歩もうと思う。

そんな大きな気付きを得た10月だった。

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