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「底」にしかない「宝物」を手にする話

4月30日にTARO賞関連のアレコレが終わった。
一気に駆け抜けたこの1年。
肉体的にもかなりの無理もしていたし、ホッとしたこともあってか、5月は燃え尽き症候群のようななんとも言えない1ヶ月を過ごした。
例えるならば「人生の底」を這っているような、そんな1ヶ月だった。
ご飯以外の時間は寝て過ごすことも多かったし、精神的に不安定になることも多かった。
肉体的にダメージを受けると、こうまでも精神に影響を及ぼすのか…というのを実感した時間だった。わかってはいたけどね。

何かに夢中になっている時、人は「小さな異変」になかなか気づきにくい。
例に漏れず、この私もその「小さな違和感」に気づかなかった。
正確にいうと、気づいてはいたけれど「気力で乗り切った」というのが正しい表現かもしれない。
例えるならば「スーパーマリオのスター」のような状態。

人間には人生においてのバイオリズム的なものがあると思うのだけど、この私にももちろんある。
例年、12月から3月くらいまではだいたい低空飛行を迎えるのだけど、今回はTARO賞の制作と関東と熊本の度々の往復のこともあって、毎年恒例の「低空飛行」を迎えることはなかった。
「そろそろ落ちるはずなんだけどな…」という心配と「でも、こんな機会もそうそう無い。いい経験だから、上がれるとこまで上がってみよう」という冒険心も働いていた。
「上がる」と必ず「下がる」というのはセット。
その振り幅が大きければ大きいほど、落差も大きくなる。
とても大きな負担になるから「今、ちょっとテンションがおかしいな」という時は意図的に抑えるようにしている。
それが結果として自分の心を守ることになるから。
なるべく、凪。そう、一番落ち着く「凪」。

今回は人生でも滅多にない機会だったので、試してみたい気持ちにもなって違和感を無視してみた。
何事も経験だ。
毎年恒例の「落ちる期間」を過ぎたのでどうなることかと思ったが、案の定、時間差で落ちた。
「あ、やっぱり落ちるんだ」という学びになった。
まぁ、予想通りと言えば、予想通りだけど。

とはいえ、次の展覧会も控えている。
なんとしてでも、通常運転に戻らないといけない。
普段、弱音を吐かないし、あまり愚痴も言わないタイプの私。
今回は、やれるとこまでは一人で向き合ってみた。

いわゆる「人生の底」にいる時には必ず普段は知ることができない「新しい発見」がある。
今回だって、人生の底に存在しているたくさんの「宝物」を見つけた。

小学生の頃、プールの時間に先生がキラキラとした何か(詳しくは覚えてないけど)をプールの中にばら撒いて、子どもたちは水に潜って、それらを集めて回る。
水泳が苦手な私だったが、その宝探しは好きだった。
水の中に入ると外界の音は消え、光の屈折で目に映る景色はキラキラと輝き出し、周りに人がたくさんいるのにまるで自分一人だけの世界にいるような気持ちになれた。
ゴーグルもつけない目を必死に開けて、プールの底に落ちているキラキラとした「宝物」を見つけ、それを手に掴んだ時の喜びは30年以上経った今もしっかりと覚えている。

大人になった今、人生で躓いたりバイオリズム的に落ちて人生の底に辿り着く時、そんな小学生時代のプールでの宝探しを思い出すのだ。
だから、落ちることはとても苦しいのだけど、同時に「新しい自分」に出逢うようなそんなキラキラとした感覚にもなる。
定期的に落ちる人生の底は、真っ暗だ。
だからこそ、そこで輝く宝物も余計に輝いて見えるのだろう。

いつものように、誰に頼ることもせずに一人で人生の底を歩いていた。
だけど、今回だけはなんだかいつもとちょっと違った。
いくつもの宝物を見つけたのだけど、なかなか上がることができないのだ。
自分の中の水平線から上に顔を出さないと、今私たちが生活している世界には戻れないのだ。
あとちょっと、本当にあとちょっとなのだけど、水平線から顔を出すことができない。
このままではずっとこのままの状態のような気がして怖かった。
勇気を出して友人や知人にSOSを出してみた。
誰かに何かをお願いする時、誰かに何かを相談する時、その人の貴重な命の時間を分けてもらう気がして、気が引ける。
そんな毎回の気遣いが邪魔をして状態を悪化させそうな気がしていた。

「人は皆、自分の命の時間を人に分けて生きている。それは、もちろん、私もだ」

ということを自分に言い聞かせた。
お互い様。持ちつ持たれつ。私はこの言葉が大好きだ。
とても優しい言葉だからだ。
人間は決して一人では生きていけないから、お互いに損得を考えずに助け合って生きていけたらきっと素敵な世の中になるはずだ。

こうして、少しずつ本来の私を取り戻しつつある。
今日で5月も終わる。
大きな展覧会の制作を控えて、充電をするために今から実家へ帰省する予定だ。
ほんの数日だけど、しっかりと充電してまたいつものような笑って毎日を過ごそう。
泣いて過ごしても一度きりの人生。
笑って過ごしても一度きりの人生。
私は、後者を選びたい。

私の弱音を聞いてくださった方。
私の愚痴を聞いてくださった方。
本当にありがとうございました。

そんな備忘録のようなnote。

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