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ぼくたちには、強さも弱さもあるから。

いま、SNSを見ていると息苦しくなってくる、気持ちが落ち込んでくるという方が多いのではないでしょうか。

かくいうぼくも、そのひとり。今まで以上に、SNSと適切な距離感を保つ必要があると感じています。

新型コロナウイルスに関連して、たくさんの人がそれぞれの思いをメッセージにしてSNSで発信しています。

それらは大きく分けると、強いメッセージと弱いメッセージの2種類があるように思います。

強いメッセージは、前向きにする力を与えてくれるものや、怒り・不満といった感情を表に出しているもの。

「ピンチこそチャンスだ、がんばろう!」
「まだ外出している人は、ほんとどうかしてる!」
「どうして政府は補償をしてくれないの!」

文の終わりに” ! ”がつくようなメッセージたちです。

弱いメッセージは、苦しい状況を伝えるものや、漠然とした不安を吐露するようなもの。

「ずっと家にいるの、しんどいなあ…」
「この状況いつまで続くの…」
「どうしてまだ会社行かなきゃいけないの…」

文の終わりは” … ”なイメージでしょうか。

SNSというメディアは、短くてシンプルなメッセージの方が拡散されやすく、結果目に付きやすいという特性を持っているように思います。

だから強いメッセージも弱いメッセージも、端的でわかりやすいものになりがちです。

でも、人間ってそんなに単純じゃないと思うんです。

強さも弱さも持っている生き物だと思うんです。

ぼくが大事にしているポリシーとして、こんなものがあります。

人間は、変化するし、矛盾しているし、みんな違う生き物である。

強い一面と弱い一面。強い思いと弱い思い。強くありたい時と、弱くありたい時。

どちらも持っていて、当たり前です。

だから、強いメッセージに引っ張られすぎず、弱いメッセージに巻き込まれすぎず。

どちらの自分も大切にして欲しいと思うのです。

強いメッセージと弱いメッセージに溢れている今のご時世では、その狭間にいることに疲れ、自分の気持ちを見失ってしまうときもあるかもしれません。

そんな自分に気付いたら、そのままの感情に触れる時間を、意識的に取ってみてもいいかもしれないなあと思います。

淹れたコーヒーの香りを嗅ぐ
目を閉じて好きな音楽を楽しむ
昔の写真を見返して、思い出に浸る

そんな風に、感性を生かす時間かもしれません。

日記を書く
カウンセリングやコーチングを受けてみる
瞑想する

あるいは、自分を見つめ直す時間かもしれません。

ぜひ、ご自愛してください。いつもよりちょっと意識して、自分を愛してみましょう。

みんなでなんとか、この状況を生き延びていければいいなあと思います。「いのち、だいじに」でいきましょう。

また会えるのを楽しみにしています。

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ちなみに、余談というか、補足というか。

「強い」「弱い」という表現を使うと、強いことの方が良いことであるかのように見えてしまうかもしれませんが、必ずしもそうではないと思っています。

弱さは深くて、複雑で、強さと同じように、愛すべき人間の特性であると感じています。

「『弱さ』は『強さ』の欠如ではない。『弱さ』というそれ自体の特徴をもった劇的でピアニッシモな現象なのである。(中略)部分でしかなく、引きちぎられた断片でしかないようなのに、ときに全体をおびやかし、総体に抵抗する透明な微細力をもっているのである。」
『フラジャイル 弱さからの出発 』|松岡正剛

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写真は、3月に行った新宿御苑で撮った一枚。また心置きなく、外に出れる日が来ることを願って。

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