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再発チョコレート

前回の定期健診。術後3か月の検診だった。エコー検査中先生が「これは痛いねー!」と言うので、問診で違和感を伝えていた左の卵巣の話かと思ったら、この間手術をした右の卵巣のチョコレート嚢胞がまた大きくなってしまっていると。ちょっと言葉が出なかった。

子宮内膜症を持っていることが分かったのは19歳の頃。小学生の頃から生理痛が酷く、鎮痛剤なしでは学校生活も難しかった。初めて産婦人科でエコー検査をしたとき、左の卵巣が腫れているのですぐに大きい病院へ行くようにと言われ、ものすごいショックを受けながら総合病院を受診した。子宮内膜症、チョコレート嚢胞で手術が必要との診断だった。

子宮内膜症がどういう病気かも分からず、当時大学生で比較的時間があったこともあって図書館で本を読んだりネットで情報を探したり、とにかく病気について、治療について、調べまくった。そのなかで「不妊の原因となる」という言葉を見つけた時、とても怖く悲しかったのは今でも覚えている。

当時長く付き合っている男性がいた私は、大学を卒業して就職して、3年くらいしたら結婚して子供を授かって…なんていう「当たり前な幸せ」を手に入れられることを信じて疑いもしなかった。おばあちゃんになるのが夢だった。そんな時にその言葉は青天の霹靂、不安で不安で自分の人生が途端に暗くなった気がした。20歳の頃手術を受け、その後付き合っていた人ともお別れをして(内膜症が直接の原因ではない)、多分それから数年間は生きてきた中で一番つらい時期だったと思う。

その後低量用ピルを飲みながら、時々クリニックを受診して検診を受けていたけど再発はせず、それから長い年月が経ち結婚して仕事も落ち着いて、いつしかピルを飲むもやめた。

35歳、結婚してから時間がたっても私が子供を授かることはなかった。私も夫も趣味があるし、生活に余裕があるわけでもなく、子供をもし授からなくても楽しく生きていけると思っていた。けれど、やはり年齢が上がるにつれ子供を持てなくなるかもしれないことへの寂しさをもつようになった。

1年ちょっとクリニックに通い、PCOS治療とタイミング療法をしたけれども授かることはなく、仕事関係のバタバタで一度治療もやめて、また子供のことは考えまいとするようになっていた。

その後、ある日夜間急にひどい腹痛に襲われた。下すかも、そう思ってトイレに座るが何もなく痛みがひどくなるばかり、吐き気が出てきて嘔吐が止まらず、痛みと嘔吐で呼吸が苦しく寒気もひどくなり、意識がもうろうとしてきたので夫に頼んで救急車を呼んだ。死ぬかと思った。CT検査などを受けて、右卵巣のチョコレート嚢胞8㎝、そこから出血したのではないかとの診断。数日入院することになった。

炎症が治まり退院して、レルミナ服用によるホルモン治療を開始した。しばらくたって手指のこわばり、頭が働かない、涙が止まらないなどの症状。副作用だった。漢方薬を併用して何とか飲み続けていたけれど、転職したての仕事もままならなくなったことが一番つらかった。

レルミナ半年服用後手術を受ける予定だったのを、継続が難しいことから4か月早めて手術。20年近く前に手術した左の卵巣はもう小さくなっていて、卵管も通っていなかった。右の卵巣も、これ以上とると妊娠の可能性が極端に減るかもとのことで全ての病巣をとることはできなかったそう。卵管は通っていたということで少し安心した。

子どもは諦めたつもりでいた。けれど決して授かりたくないわけではなくて、授からなくてもしょうがない、そう言い聞かせて必要以上に傷つかないように予防線をずっと張っていたことに気が付いた。

残った病巣があるので再発予防には治療が必須。ホルモン治療か不妊治療か選択することになったけれど、新しい仕事にまだ慣れていない私は当面ホルモン治療をする事にした。レルミナが合わなかったのでジエノゲストを飲み始めた。過去の仕事柄ジエノゲストを長期で服用している人は多々知っていたので安心していたのもつかの間、私にはジエノゲストも合わず、レルミナ服用中と同じように気分が落ち込み涙が止まらない症状が酷くなるばかり。結局ジエノゲストも中止して様子を見ることになった。

うつ症状は改善せず、精神科も受診し結局始めたばかりの仕事も退職してしまった。そして今回の定期健診での再発発覚。ホルモン治療を再開するか不妊治療を開始するか、治療方針は今のところその2択。年齢的にももう若くはないし、子どもを授かりたい気持ちを再認識したので不妊治療を再び開始することにした。

けれど、本当に授かれるのか。本当に授かりたいのか。授かってもちゃんと私に育てていくことができるのか。仕事を辞めてしまっていてこのまま授かっても養うことができるのか。夫婦協力してやっていけるのか。決心した後もなにか歯切れが悪くて格好悪いけれど、迷いや不安が消えない。治療のための子ども、にはしたくないのだよなあー。

まだ正直ちゃんと気持ちを追い付けられていないので今までの経緯を整理してみたくて文章にしてみた。デリケートな問題、簡単に誰にでも相談できることでもなくて、でも一人で抱えるにはしんどくて。

幸いうつ症状は改善してきたので、もう少ししたらしっかりできるのではないかと思っているけれど。子宮内膜症にこんなに振り回されるとは思っていなかった。

書き殴りでまとまらないけれど、事実を淡々と整理することは必要なことなのかもしれない。まだまだ考えることばかり。少しずつでもアウトプットしていけたらいいなと思う。

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