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じゃあね、ありがとう。

一人になることにした。

どんな言葉をかけられても揺らぐことはなくて、たのしかったなぁって思うことしかできなくて、生きていきたい姿とお互いに求める姿が違ったんだなぁ、とこんなところで自覚した。


結論、人といるのは難しい。
言葉で相手を支配するのも、相手の理想に自分を変えてしまうのも違う。
違ったのだ。

私たちはこれを、自分と相手にどこまでも課していたと思う。

私は本来、ずっと自分のステージを進めていきたい人だ。
仕事も、地位も、お金も、持ち物も、全部全部。自分が好きなもののグレードを上げていきたい。
だから自分がいるグレードにふさわしくないものは持たないし、欲しくもない。それがいいとは思わないし、高いものを買って仕事を頑張るというやり方の方がずいぶん効率はいいと思うのだけれど、私の生き方と生きていたい道はそうではないのだ。

彼は、自分の欲しいものは先に全部手に入れて、それを大事にしながら、自分の目指すところに向かって進んでいく人だ。
それが必ずしも上向きとは限らない。たとえ下向きであっても、それが彼にとっては必要な過程なのだろう。そして欲しいものは先に手に入れるから、休んでいる間にも自分の貯金で色々なものを買っていた。


これから彼の理想の道筋を聞いていると、私はとてつもなく不安になってしまうことが多かった。
残念なことに私は安定した職で地道に地位を上げてきた父と、10年間専業主婦からのパートで生活している母を見てしまっているので、どちらかがほぼ完璧に家事をこなし、どちらかがほぼ完璧に勤める形に憧れてしまう。

この二年間、死ぬほどしんどかった。
仕方がなかった。うつで苦しんでいる本人も死ぬほどしんどく、動くことすらままならない時があることもわかっている。でも、日中終わりの見えない仕事の中で「この後帰ったら晩ご飯は何にしよう…」「今週末は洗濯しなきゃ」「もうあの食材がないから買いに行かないと」なんてことを考えて生活するのは大変だった。笑えるくらい大変だった。
この先の話を聞いても、「でもお仕事再開しても辞めちゃうかもしれない」とか「本当にお金は稼いでいけるのだろうか」とか「結婚もしたくて子供も数人欲しいならもっと頑張らなきゃいけないんじゃないの」とか、思っていても絶対に言っちゃいけないことがどんどん増えていった。

夏くらいから先輩氏が家のことをたくさんしてくれるようになったのだけれど、気がつかなかっただけでもう手遅れなほどに辛かったのかもしれない。
本人なりに頑張っていたのだろうけれど、結局私はそれを待てなかった。


先輩氏にも色々と無理をさせた。
喧嘩もそこそこ多かったし、私は仕事も家のこともしてるのに家でPC見てるだけのあなたがどうしてそこまで辛いの?と思ったりもしたし、それが原因であたったこともたくさんあった。
すでに心がしんどい人からしてみたら、頭がおかしくなるくらいしんどかったかもしれない。でも「私だって毎日がんばっててしんどいんだから」って思ってしまった。無理をさせたなぁ、と思う。


これからは無理せず、自分の健康と回復だけを考えて、人の求める頑張りに合わせることなく、自由に生きてほしい。無理させてごめんね。

私も自分の速さで、好きに走っていきたいと思う。


本当にたのしかったな。元気にしてくれてありがとう。
身体に気をつけて、幸せになってね。


たのしく生きます