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バラがきれいに咲いたらしい

バラは、母の好きな花だ。

実家の庭にはたくさんのバラが植わっていて、今年はここ数年で一番きれいに咲いたと6月ごろに連絡が来た。


母は植物に詳しい。
聞けば聞いただけ答えが返ってくる。

「このイチゴ、バラの香りがするよ!」と言えば「イチゴはバラ科で、それはバラの香りがするように交配された品種だからね」と返ってくるし、「このお芋、甘そうな見た目してるのに味は普通だね、蜜があるやつじゃない」とボヤけば「その品種は蜜を引き継がせたものじゃないからだよ」と教えてくれる。


昨日の夜、急に母に会いたくなった。

私のブログで一番好きな、母のことを書いたブログ読んでもらいたいので、noteにも載せようと思う。
今年の正月明け、実家から東京に帰る飛行機の中で書いたものだ。

読んだことある人には申し訳ないけれど、少しだけ加筆修正もしたので、よければ。


是非読んでみてほしいのです。



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母と、父の実家の裏庭を歩いた。

これはケヤキ、これはツバキ、今ちまたで咲いてるのはサザンカね。これはビワ、ビワはどこかに毒があった気がする。
たしかこのへんにアーモンドが植わってるって聞いたことあるんだけど、どれだろう、さすがにお母さんもアーモンドは知らないんだよね。これかなぁ。今度おばあちゃんに聞いてみよう。
あら、あなたひっつきむしがブーツに付いちゃってる。家に帰ったらきれいにしなきゃね。
これはムカゴ、居酒屋で揚げてあるやつが出てくるところがあるよね。東京にはないの?そっかぁ、昔はこういうものも食べてたのよ。山芋の実だからねっとりしてるかな。このムカゴのツルをたどった土の中に、山芋が植わってるの。


穏やかな数分間だった。
まだ私が小さいころ、ふたりで父の実家の山を歩きながら、ちがう植物で似たような話をしたことが何度かあった。

農学部出身の母は植物のことをよく知っていて、次から次へと名前が出てくる。
結局その頃の私は植物のことなんてよくわからず、母が話してくれたことは今ではもう忘れてしまっているけれど、そういうときの母は魔女みたいで好きだった。

楽しそうに植物の話をする母が好きだった。

アーモンドって、そっか、突然ミックスナッツの袋に入ってるわけじゃなくて何かの実なんだよね。たしかに。はじめてアーモンドが植物だって実感したかも。山芋はたしかに根っこだもんね、そうだよねぇ。植物なんだよね、ぜんぶ。

数年ぶりに植物の話を聞きながら散歩したあの時間は、現実と乖離していた気がする。


久しぶりに会った母はそれなりに年を取っていたけれど、私にとっては昔の母となにも変わらない。
少しシワが増えて、顔が疲れたくらいだ。

それに、少し庭を歩いただけで植物のことを教えてくれる母は、やはりいくつになっても昔の母そのままだ。
でも、今回は植物の話だけじゃなくて、母が結婚した頃のことや、子どもの頃の話をしてくれた。

植物以外のことを交えながらのんびり散歩するのは初めてで、なんとなくさみしくて、これまでにももっとこういう時間を待てばよかった、と思った。


今年の4月で、実家を出て丸8年になる。

上京することが確定した日、やっと解放されると思った。
これからは大いなる自由が待っていると思うと、こう言っちゃアレだけれど、清々した。

厳しい母と、それを傍観する父。
そんなふたりの元で、弟ふたりの姉として育った。
仲のいい両親だったけれど、そうであるがゆえに私の孤独感は強かった。
私がいちばん厳しく育てられて、私が中学3年生にならないと解禁されなかったゲームや漫画を、小学生のうちに解禁された弟たちが憎かった。

たくさん僻んだ。
当然のごとく、強烈に歪んだ。

ずっとずっと死にたくて、何度も何度も母と父を傷つけた。
彼女たちは自らの意志で私を生んだし、ここまで私を苦しめたのだから、私はふたりになにをしても許されると、その当時は考えていた。


だからこそ、本当に清々した。
これからもまだたくさん困らせるから覚悟してろよ、とも。


上京の日、少しはさみしくなるのかなぁと悠長に考えながら、それでも軽い足取りで保安検査場を通った。
荷物を受け取って、せっかくここまで見送りに来てくれているのだからと思ってゲート越しに振り返ると、一生懸命手を振ってくれている母の姿があった。

涙が溢れた。


ひとりなのに風邪を引くと辛いから、と母が持たせてくれたマスクを目の下ギリギリまで待ち上げて、ぽろぽろと泣いた。
なんで泣いてるのだろう、私はとてもすがすがしい気持ちのはずなのに、と思いながらも涙が止まらなかった。

ちょっとだけ手を上げて振り返すと、弟たちも手を振ってくれた。
母は、自分より背の高い弟たちよりも高く高く手を上げて、そして大きく手を振ってくれた。

母たちに泣いてることを知られたくなくて少し早歩きしながらも、お互いが見えるギリギリのところまで、私も一生懸命手を振った。
今生の別れでもないのに、夏休みになれば帰ってくるのに、と傍観している自分を無視して、人混みの中の母に見えるようにと、私も負けじと高く高く手を挙げて振り続けた。


そして白い壁で誰の姿も見えなくなった時、重たいさみしさが心を沈めた。

あんなに恨んでたのに、あんなに離れたかったのに、いざその時を迎えるとさみしくてさみしくてたまらなかった。


私はちゃんと、お母さんのことが好きだった。


今すぐお母さんのご飯を食べたい。
今すぐお母さんと話がしたい。
いつもみたいに料理するお母さんの横で、2時間でも3時間でもおしゃべりしていたい。
お母さんとお洋服を見にいきたい。
お母さんとスーパーにお買い物に行きたい。
お母さんとデパートに行って、お母さんに似合う靴を探したり、お母さんの好きなアロマオイルのお店でふたりのアロマオイルを買ったりしたい。
最上階のご飯屋さんで皿うどんを食べたい。
お母さんが教えてくれた三杯酢をかける食べ方、あれ本当においしいね。大好きすぎて学校さぼって食べに行ったことがあったんだよって教えたい。
あと、あと、一緒に本屋さんに行って私の好きな本の話をきいてほしい。
お母さんの好きな本を私も読みたい。
お母さんと一緒にいたい。


そんな色々が、もうこれからは期間限定になってしまうことが悲しかった。


母のことも母との時間も大好きな自分に気がつかず、恨みや憎しみだけを育てていってしまった自分を盛大に悔やんだ。
けれど、今さらそんなことを思ってももう手遅れで。


飛行機に乗ってからも、展望デッキにいる母を探した。
私の方からは展望デッキにいる人は小さすぎてよくわからなかったけれど、ひとり、赤紫のスカーフを振っている人がいることに気づいた。

あれは母のスカーフだ。

もしかしてと思って目を凝らしてよく見てみると、やっぱり母だった。

今すぐ飛行機を降りて母のところに行きたくなったけれど、我慢して窓の近くで手を振った。
見えないかもしれないけれど、ちゃんとお母さんのこと見えてるよ、ありがとう、という気持ちを込めて小さく、でも見えなくなるまでずっと振った。


飛行機が滑走路を走り出してとうとう母の姿が見えなくなった時、またぼろぼろと泣いた。

前の席のちいさな男の子が背もたれの隙間からこちらを見てきたのだけれど、窓の外を見ながら泣いている私にぎょっとして、「え?なんでこのひと山見ながら泣いてるの?」とでも言いたげな顔をしていた。


この時からずっと、飛行機の中できゅーっと心がしめつけられるのは無くならない。

上京してからも母にムカつくときもあれば恨みを持つときもあったけれど、東京に帰る時の飛行機はいつも泣いてしまう。
毎日一緒にいるときっとダメなのだけれど、東京と私の地元は離れすぎなのだ。
もうちょっと近くに、せめて神奈川か静岡くらいの距離にいてくれたらいいのに。



国内線ターミナルから乗り込む京急は、いつもしんとした冷たい匂いがする。
地元で感じていたあたたかさはなく、誰が何をしてようが興味がないいつもの都会の空気。

この空気にいつも救われている。

この空気を身体いっぱいに吸い込んで、お母さんお母さんと甘えきった心をリセットするのだ。


都会で8年も暮らしていれば、海と山の見える地元の車窓よりも、視界を遮る高層マンションや高層ビル群の車窓のほうが、しっくりくる。
そうやって建物を眺めて、地下鉄の車窓もクソもない真っ暗な窓を見つめて、いつも通り私は自分の家に帰る。通勤でも使う路線が、しんみりとした私の心をむりやり平常運転に戻す。

空港で母に買ってもらった私へのお土産は、おいしいけれどちょっと物足りなく感じてしまう。
空港で試食したときのほうがおいしい。

いつもそう。
けれど、これがいつもの帰宅だ。

おいしいはずのお土産を味気ない晩ご飯にして、湯船につかってさみしさが薄れるのを待つ、それが私の日常に戻るための儀式。

この儀式のおかげで、翌日は実家から送ってもらった荷物が届くのでさみしさが少し尾を引いているけれど、翌々日にはもうすっかりいつもの調子に戻れる。
母への恨み節も全部翌々日には戻っていたのは笑えるけれども。
いや、笑い事じゃない、薄情が過ぎる。


今年は、恋人ができて私の心が穏やかになって、母への恨みが完全に消えた状態での初めての帰省だった。
これまで実家で過ごしてきた時間の中で、最もしあわせで、たのしい毎日だった。
最高の時間を過ごせたからこそ、今年はとってもさみしかった。

飛行機代もバカにならないし休みもとりにくいけれど、できることなら毎年帰りたい。
2年間でたまった話が、たった一週間やそこらで話しきれるはずがない。
ましてや毎日学校から帰ってきたあと、晩ご飯を作っている母相手に3時間しゃべりっぱなしだった私が、たかが1週間で2年分を話しきるはずがないのだ。

次に帰ったときは、私の話だけじゃなくてお母さんの話もたくさん聞きたい。
またこの前みたいに花や木を、山を見ながら、海を見ながら、空と星を見ながら、お母さんの話を聞かせてほしい。


今の私は、お母さんが私を生んだ歳になって、お母さんとは全く違う生き方をして、全く違う景色を見ながら毎日過ごしているけれど、あのころのお母さんの孤独や苦労を想像できるようになったよ。

たくさん苦労をかけてごめんね。
たくさん傷つけてごめんね。

やっと、あのころのすべてを仕方がない、それでよかった、と思えるようになったよ。

もうこれっぽっちもお母さんのことも、お父さんのことも恨んでないよ。

これからはもうすこしたくさん帰れるように、がんばるね。
お母さん、だいすきだよ。

たのしく生きます