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更新されない日常は、もう昔のおはなし

実家にいたのは高校3年生まで。
都会への憧れをうっすらと抱きながら、ど田舎で有り余る(ように感じる)時間をただただ受け流していた。
日々積もっていく煩わしさの消化の方法を知らず、その無知が日常のつまらなさを色濃くさせていった。


上京してから実家に帰るとそれは「帰宅」ではなく、「帰省」「帰郷」などの新しい言葉に変わる。
「自宅に帰る」のではなく、「両親の安否を訪ねに帰る」のだ。

「自宅に帰る」というのは日常の1シーン、毎日の決まりきった出来事である。出たから元いた場所に戻る、それ以外の意味を持たない。
ところが親元以外の住所を持った途端、別のどこかに物理的な居場所ができた途端、「両親に会いに帰る」ことになる。

不思議だ。家に帰るだけではいられなくなるのだ。
なんだか急に外の人になったかのよう。


両親(やその代わりになる人)が住んでいる家に帰ることが日々の決まりから外れると、『実家に流れる時間』と『別の居場所を持った自分に流れる時間』の交わりがぐっと薄くなる。

私の場合、実家の時間は『私が家を出た日』から完全に止まっている感覚があった。
これは完全に単なる想像と個人的な(勝手な)感覚でしかなく、実際はその間に弟1が高校生から大学院生にまで成長し、弟2は中学生から高校生、そして大学生になった。ふたりとも身長はぐっと伸びたし、考えることも話せることも大人びてきた。
両親も室長になったり、半日パートがフルタイム勤務になったりした。もちろん40代前半のままでもない。

現実の実家は、私に流れる時間と同じスピードで進んでいる時間を生きていて、その過ぎゆく時間に伴った変化が起こっている。
両親の思考が変わり、子供に許容されるものが変わり、求められるものも変わり…。

私がいた頃とは変わっていることが多過ぎて、時々戸惑ってしまう。

そのくらい時が流れ、それほどまでに私と実家にいる家族の世界が変わっているのだ。


昨夜遅くに帰ってきた父がカバンからお弁当箱を出したので、受け取るついでに洗おうかと手を伸ばした時のこと。
「洗ってきたから大丈夫だよ」と父が言うのだ。
いつものように流してきたんだね、それくらい私が洗うから大丈夫だよ〜、と思いながらテーブルに置かれたお弁当箱を見てみると、なんと!本当に!!洗ってある!!!!!!!!
私が実家にいた頃の父は、お弁当箱を会社で洗ってくることなんてなかったし、なんなら家について流しにお弁当箱を浸けたらそれで終わっていた人だった。料理以外の家事はよく母と一緒にやっていたけれど、お弁当箱だけは絶対に洗う人じゃなかった。
そんな父がピカピカに拭きあげられたお弁当箱を持って帰ってくることは、私にとっては天変地異、青天の霹靂、びっくり仰天。(語彙力の急激な低下)

「え!!お父さん!!洗ってる!!!!!」
「そうだよ、最近洗ってるんだ〜」
「えらいじゃん!!!!!」
「職場の人たちがみんな洗ってるから、洗ってくるものなんだなと思って始めた」

いや職場の人たちGJ。ありがとうございます。みなさんのおかげで、また父のステキ度がぐっと上がりました。
ちなみに「あれ?お父さんお箸洗ったっけ」ってちょっと慌てていた姿を見て、洗い始めたのは最近なんだなとクスッとした。

その時間、母はお風呂に入っていたのだけれど、お風呂上がりの母に「お父さんお弁当箱洗ってくるようになったんだね?」と聞くと、「そうなの、最近洗ってきてくれるんだよ〜」とちょっとうれしそうに教えてくれた。
天邪鬼でお子ちゃま気質なところがある父が毎日お弁当箱を洗って帰ってこられるのは、母が父に「洗ってくれている」って気持ちを持っているからかもしれない。「洗うことが当然」って姿勢だと、私の父は絶対にへそを曲げてしまうから。
褒められるとよろこんで行動する、かわいい父なのだ。


帰省の間、アップデートされていない我が家ルールで対応しようとすると、「もう今はそうじゃないよ」「最近はこうなんだよ」と言われることが多くなってしまった。
『私がいない』ことが日常になって9年弱。
9年もあれば人はたくさん変わるし、大きくなるし、老いる。

日常のラインが実家から変わらない生活が、ちょっとだけ恋しくなった。
『自宅に帰る』ことができたらいいのに、なんて。
それでも私は今の『私の日常』が大好きだけれど。


きっと家族は、一本の『日常』から『それぞれの日常』の枝葉を伸ばして、樹全体がアップデートしながらみんなで大きくなっていくものなのだろうと、これだけの年月が経ってようやく気がつけたのであった。

たのしく生きます