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親孝行って何かなって

明日はお高めの食べ放題焼肉に行くらしい。家族みんなと母方の祖父母で。

その前に家族写真を撮りに、我が家の記念写真を事あるごとに撮ってもらっている街の写真屋さんに行くらしい。
もう次みんなが同じ時にゆっくり集まれるかわからないからって。
下の弟が「お姉ちゃんが次に帰ってくる時は、ひょっとしたら一人じゃないかもしれないから、最後だった時のために」って。
それまでずっと話していた両親が、この時はじっと黙っていた。


両親は、私離れの時に向けて少しずつ心の準備をしているらしい。


家族写真を撮られることはこれまでにも何度かあって、全部同じ写真屋さんで撮ってもらってきた。
誰かが反抗期の時も、私がどうにかして死にたかった時も、弟がいじめられていて苦しかったらしい時も、姉と兄に手がかかって両親に構われないとさみしい気持ちを下の弟が抱いていたらしい時も、仕事も育児もうまくいかなくて発狂寸前だったらしい時も、家族ともっと過ごしたくてお仕事が山積みで右にも左にも進めなかったらしい時も。

どんな時でも、同じ写真屋さんが私たちのことを撮ってくれた。


私は写真を撮ることは好きだけれど、撮られることは苦手だ。どんな顔をしていいかわからないから。
ましてや家族写真ともなると照れくさくて、もっと笑顔にしようと思えば思うほど、ぎこちない表情になってしまう。

だからこれまでは「今度写真撮りに行くからね」と言われると全面に行きたいくない感情を出して出して、当日もできるだけ早く終わらせようとしていた。おそらく弟たちも似たような感情だったように思う。
でも今回、私は初めて一言の文句も言わずに、家族写真を撮ることを受け入れることができた。


「ああ、そうなんだ。いいよ!誰かのお祝い?」
「えっと、成人式前のいつもの家族写真、みたいな感じ」
「なるほどね!もう成人かぁ」
「違うよお姉ちゃん、お母さん嘘だめじゃん〜」
「あはは、お母さんも通じると思ってなかったんだもん」
「本当は全員で撮れるのはこれが最後かもしれないからだよ」
「最後なの?」
「次お姉ちゃんが帰ってくる時は一人じゃないかもしれないから」
「そういうことなの?どうかな〜??」

少し泣きそうになった。
恋人氏にプロポーズされたこと、目標金額までたまったら両親に報告して結婚に向けて動き出すこと、それらを私は両親に伝えていない。
単純に、まだしっかり動き始めたわけじゃないし先が見えた時の報告でいいだろう、と私が判断したからだ。

でも実際は、私よりも両親の方がずっとちゃんと「私がいなくなる」ことを考えていた。
両親は少しずつ「私が娘だけじゃなくなる」瞬間に向けて、準備をしようとしていた。


親というのは何か感じ取るのだろうか。
それともただ単に自分たちの時のスピード感に照らし合わせて考えているだけなのだろうか。

家族写真撮影の予定を私に伝える時、母はどんな気持ちだったのだろう。
それを隣で聞いていた父も、どんな気持ちでいたのだろう。

こんなことでお父さんとお母さんの寂しさに少しでも寄り添えるならいくらでも、なんて思いながら、初めて明るい気持ちで即答した。


「いつでも、みんなで撮ろうね」


カメラの前で私は、こっそり泣いてしまうかもしれないね。



たのしく生きます