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オタクくんが『理解ある彼くん』にナーバスである理由

Twitterをやってると「私はこんな辛い目に会いました!」みたいな漫画が回ってくる。大抵は女性によるもので、それらには共通の登場人物がいる。

『理解ある彼くん』だ。

なぜかオタクくんたちにはこの理解ある彼くんという存在が癪に障る。かく言う俺もその一人である。ではなぜオタクくんが理解ある彼くんにナーバスなのか、思ったことを書きたい。

男性が交際するということ

ここでまずオタクくんという抽象名詞を具体的なイメージに落とし込んでみよう。アニメやエロゲが大好きなので、多分あんまりかっこよくなくて女にもてなくて、さして仕事もできないんだろう(暴論)。

まぁこれは言いすぎだとしても、なんとなく孤独感を抱いている男性が多く、かつそこまでマッチョな感じでもないのは事実ではないかと思う。ここで言うマッチョとは、肉体だけのことではなく、男性的なあり方(定職をもち、家族を養って〜みたいの)からも少し距離をおいている感じの人が多いのではないか。

マッチョイズムから距離を置いたところで、男性の評価軸である『いかにマッチョであるか』から逃れることはできない。大学はどこか、勤め先は、役職は、年収は、結婚はしてるのか。男性は常にこの評価軸に当てて測られる。正社員として定職についていなかったり、年収が低ければダメ扱いされる。また社内でも残業などをして"男らしく"、会社にコミットしないとダメ扱いされてしまう。つまり男性は常にマッチョさというメジャーで評価される。

交際相手を見つける上でもこれらの条件が非常に重要である。つまり、女性と交際する上で、男性はマッチョでなくてはならないということである。いい大学を出て、いい会社で正社員として働き、平均よりは高い収入を得ないと交際相手が得られない(可能性が高い)。そもそもそれらがないと自信を得られず、交際へのステップを踏み出すことが難しい。

存在するだけで肯定してくれる相手

つまり男性にとって、マッチョさという価値観を離れて、ただ存在を肯定してくれる相手を得ることは極めて困難ということになる。自分が生きてるだけで喜んでくれるのは母親くらいであろうか。男親はなんだかんだ息子のステータス気にするからね。

マッチョでないと存在価値を誰からも認められないのが、男の辛さなんだろうと思う。

さて、そろそろ理解ある彼くんの話に戻ろう。

こう言っては悪いが、上述のような漫画を書く女性はたいてい無能である(そうじゃないこともある、もちろん)。ザラにあることで傷つき、共感を求め漫画を書く。そして理解ある彼くんが出てくる。

すると同様に無能で、あまりマッチョでない男性(オタクくん)は嫉妬する。「いいよな女は。どんなやつにでも存在するだけで肯定してくれるやつがいるんだもんな」。(ただただ笑いものにしてるオタクくんもいる)(いや、なんならそれが多数派ですわ)

マッチョに生きられない男たち

なんでこんな記事書こうと思ったか。正直男、女なんてクソデカ主語をテーマにして文章なんかあまり書きたくなかったが、オタクくんたちのあまりにナーバスな反応に男の生きづらさが反映されてるような気がしたからだ。

男らしく正社員として、残業も厭わず働かねばならない。伴侶や家族ができたとしても、それらは頼りにしていい相手ではなく、責任を負うだけである。ただ存在を肯定してくれる人間なんてありえない。だから理解ある彼くんのいる女性に嫉妬してナーバスに反応する。

この国で男性であることというのはかなりタフなことなんだろうと思う。特に仕事と人生の距離がやたら近いあたりが。

行政が女性活躍?とか言ってたけど、社会進出=男性化という根本的な間違えを正さない限り、男性も辛いままだし女性だってそんなふうに社会進出したい(働きたい)と思わないだろう。

文章がめちゃくちゃになってきた。でも理解ある彼くんがいたのでなんとかなりました。


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