キューバ旅行記⑧ なくしもの 2020.01.24
小雨模様のハバナ、ミラマル地区。観光客にとっては特に用もない界隈で、一台のLADAがガタゴトと車体を路肩に寄せる。助手席にすわるマリアは、窓から歩道を歩く人に声をかけ、どうやら道を尋ねている様子だ。ぼくは狭い後部座席で、気まずさから必要以上に身体を縮めて、単語のひとつもわからないスペイン語のやりとりを聞くほかない。
ちょうど一日前のいまごろ。ぼくはあろうことか、長距離バスの車内にデジカメをおいてきてしまったことに気が付いた。
これまで少なくはない海外渡航の中で、トラブル知らずだったぼくにとっては、とんだ凡ミスであった。
海外で貴重品を無くせば、二度と手元に戻らぬ覚悟。せめてタダでは起きぬと、ハバナ最後の3日間を過ごすCasaのホスト、ジョージとマリアへのあいさつ代わりの小話のネタにした。過剰に残念がって見せたことは認めるが、そうでなくてもこの老夫婦は困っている人を反射的に、際限なく助けてしまう性分らしい。すぐに旅行会社に電話をかけてくれた。あいにく、何度かかけても電話は通じない。これでどうして代理店が務まろうかと疑問を感じつつ、ぼくはぼくで、翌朝、予約を取った代理店の店舗に足を運んだ。
代理店、といっても僕が訪れた支店は狭い室内にデスクと固定電話が2つと、扇風機が一台あるのみ、パソコンもなければパンフレットの類もない。ぼくはカウンターの女性の前に座らされたきり、彼女の電話が終わるのをかれこれ10分は待っている。
海外において日本の時間の感覚を持ち込まれるなど、相手にとってたまったものではないことは想像がつく。となりのデスクでぼくと同じように待たされているカップルは、ぼくに向けてあからさまに肩をすくめて見せるが、郷に入っては郷に従う、接客において10分待たされることなど、ハバナではなんてことはない。
ようやく電話を終えた彼女に事情を説明すると、彼女はちょっと待つように言って再び受話器に手を取った。さらに5分ほど待つと、彼女は手元のメモに短い文章を書いてぼくに手渡した。
「いい、ここにはこう書いてあるわ。“このメモを持っている彼が、昨日、ビニャーレスからのバスにカメラを忘れた本人です。オフィスに伺うよう伝えたので、保管しているカメラを彼に返してあげてください”」
かくして、ぼくが自身の罪状が記されたメモをマリアとジョージに見せると、彼らは刑の執行に付き合うべく、自家用車を出してぼくを送ってくれたのだ。
―――
「あった!旅行会社の名前が書いてある!」
そして冒頭に戻る。指定された住所にたどり着くも、なかなかオフィスを見つけることができずにいたが、Casaの二人にこれ以上迷惑をかけたくない一心で目をこらし、なんとか発見することができた。
オフィス、といっても民家をそのままオフィスとして使っているように見受けられる。ここミラマル地区はもともとアメリカの富裕層の住宅が並ぶ地区で、古いながらも確かにちょっとしたオフィスとしては十分な広さがあった。
オフィスの責任者は、流ちょうな英語で簡単にぼくの本人確認をすますと、「あんたはラッキーだったね!キューバでの残りの日々も楽しんでくれよ!」と笑ってくれた。
さすがにキューバと言えども幸運に尽きる出来事だったが、カメラを届けてくれた誰かも、旅行会社の社員も、Casaのホスト、マリアとジョージも、こちらが恐縮しきってしまうほどに優しくしてくれて、ぼくはいよいよこの国が大好きになっている。
笑顔でぼくを見送るオフィスの責任者の肩越しに、電話機を前に堂々と居眠りをかます社員の姿が確かに見えた。昨日電話がつながらなかった理由が分かった。
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