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ネマニャと樋口裕一先生

1月7日に書いた『オ・ン・ガ・ク』の中でネマニャ・ラドゥロヴィッチのことも書いたけれど、実はネマニャを知った頃、不思議な偶然があった。

私がネマニャのバイオリンにすっかり魅了される少し前、私は外国で育った、外国と日本のハーフ(ダブル)Aさんの日本語プライベートレッスンを担当することになった。Aさんは日本の大学に進学希望で、レッスン内容は推薦入試の小論文対策だった。Aさんは日本語を話すことは問題がなかったが、日本語で文章を書いたことはあまりない、とのことだった。簡単な漢字なら読めるが、難易度が上がるとお手上げだった。

週5日、1日2コマのレッスンを約半年、複数の講師が交代で指導した。私にとって初めての小論文指導だったので、小論文のテキストを何冊か用意した。書店で偶然目にした樋口裕一著『小論文これだけ!超基礎編』も手に入れた。

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一方、その頃私は日本語の授業の準備をしながら、よく音楽を聴いていた。たまたまyoutubeでクラシックを聴いていた時に、おススメでネマニャが出てきて聴いてみたところ、すっかり魅了されてしまったのは『オ・ン・ガ・ク』で書いたとおりである。

私はyoutubeでネマニャの演奏を聴けるだけ聴いた。フランスやセルビアの映像が多くあり、ネマニャがフランス在住のセルビア人であることが分かった。子どもの頃から才能を認められ、ドイツやフランスに音楽留学し、14歳からフランスに住んでいるとのことだった。そんな音楽家としての輝かしい経歴の一方、ネマニャの祖国ユーゴスラビアは分裂し、セルビアに。そのセルビア国内でコソボ紛争も起き、ネマニャの子供時代はまさに戦火の中での暮らしだったそうだ。そんな過酷な体験がありながら、今のネマニャはいつもにこやかでユーモラス。そして、心から楽しんで演奏しているのが伝わってくる。ネマニャと一緒に演奏をしている仲間もとても楽しそうだ。3年前に行ったコンサートで、ネマニャはサインを希望する全員にサインして、一人一人に丁寧に笑顔で "Thank you!”と言っていた。ネマニャのその明るく温かな人間性にもファンは魅了されている。日本にも熱狂的なファンが多く、ファンクラブもある。

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実はネマニャの日本のファンクラブを作り、初代会長を務めたのが、先の小論文のテキストの著者、樋口裕一先生なのである…!

私は、樋口先生がネマニャのことを書いたブログを読んではいたのだが、間抜けなことにブログの主の名前をちゃんと見ていなかった。しばらくしてブログの主が「樋口先生」という(※但し、下のお名前はうろ覚え…)大学の先生だということは認識した。ただ、樋口先生のそのブログには小論文のことが全く書かれておらず、ほとんど音楽の話題だったので、まだ気が付かなかった。ある日、なにげなく小論文のテキストの著者名を見て、「そういえば、ネマニャのブログの主も樋口先生…あれ?名前似てない?…え?!」と思い、そこで初めてブログの著者が小論文のテキストの著者と全く同じ名前であることに気が付いた…

そしてすぐに同一人物であることがわかった!


こんな偶然があるから、人生って面白い…!


※ちなみに小論文指導したAさん、見事、志望大学に合格しました!



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