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十一話目「虫人形」

 みなさんは『かんの虫』をご存じだろうか。
 子供の手をみてまじないをかけると、そこから出てくる白い糸や煙状のようなもの。乳児の異常行動の原因ともいわれるもの。
 この『疳の虫』を抑える祈祷のことを『虫封じ』や『虫切り』などと呼ぶらしい。


 今回は、知り合いの美樹さんが「『疳の虫』といえば……」と、話してくれたある思い出話。



「うちのお婆ちゃんはね、『虫切り』をしてくれるまじない師ってことで近所でも有名だったの」


 しわくちゃで、いつもニコニコしていた祖母は呪い師と人形師を兼業していたという。
 なぜ、そんなことをしていたのか現在ではわからないそうだが、『虫切り』と呼んでいたそれは、取り出した虫を人形にいれるというもので、ニュアンスは縁切りに近いものだった。
 そうして彼女の家には表に売り物として出される人形と、『疳の虫』を入れ込んで倉にしまっておく人形があった。
 だからいつも祖母は孫である彼女にこう言い聞かせた。
「あの倉には絶対に近づいちゃいかんよ」
 そのときだけは笑顔でなく、真剣な表情だったという。


 しかし、人間というのは「近づくな」といわれると余計に「近づきたく」なる。
 ましてや分別もつかない小学校低学年の子供となれば好奇心の塊である。
 祖母のつくる日本人形が大好きだった彼女は、売り物にしている人形よりも可愛いものがあると思い込み、ある日の昼、家族の目を盗んでその倉に忍び込んだ。

 敷地のなかで“はぐれ者”のように建てられたその倉は、夏だというのに、いったん足を踏み込むとすっ……と汗が引くぐらい涼しかった。そして湿っぽくて真っ暗で、古臭いにおいがする。
 持っていた懐中電灯で照らしてみると、そこには色鮮やかな着物をこしらえ、電灯の光で爛々と輝くあまたの黒目があった。
 暗闇のなかできらびやかに輝く人形たちに囲まれる幻想的な光景は本当に美しく、そのときの彼女に恐怖心はなかったという。
 そして床から天井近くまで、大小さまざまな人形が隙間なく立ち尽くすなか、まさに倉のなかの中央、まるですべての人形の視線の先にひとつだけ目をひくものがいた。
 


 その人形は、他のものとは対照的に全身真っ白な服を着ており、唯一目を閉じて布団のようなものの上で横たわっていた。
 化粧気のない顔で、雪のように真っ白で綺麗だった。
 みつめていると寝息が聞こえてきそうなほど穏やかな表情だったという。

 彼女は一目みて「なんて可愛いお嫁さんなんだろう」と心奪われ、あたかも起こさないようにそっと手をかけた。
 自分のものよりも綺麗にみえるその黒髪を、そっと撫でてみる。
 撫でてあげればあげるほど、人形の髪と肌に艶が出て、息を呑むほど美しくなっていく…そんな気がしたという。


 どれほど時間がたったのか。
 気づけば後ろに人の気配がする。
 振り返ると扉の一歩向こう側、いつのまにか夕日が差し込んで影の濃くなった場所に誰かが立っていた。
 暗がりでもその背丈と服装からわかった。祖母だった。
 (怒られてしまう!)
 そう思った彼女が咄嗟に謝ろうとしたそのとき、祖母はなにもいわずに人形を取り上げ、そのままボキリと二つ折りにした。


 断面からは木の破片や綿が飛び出し、胴の次は腕、腕の次は足、…と、老婆とは思えない力技であの白く透き通った人形がバラバラに引き裂かれていく。
 それに反して、人形の肌はどんどん紅潮している…気がした。

「この子はね、悪い子なの。欲しがりだから、欲しがりだから悪い子なの。欲しがりだから、欲しがりだから…」

 気づけば祖母はそう呟いていた。
 人形から祖母の方に視線を写すと、彼女はニコニコしていた。
 いつものニコニコ顔で「欲しがりだから、欲しがりだから」「悪い子なの、悪い子なの」と、まるで孫と自分自身に言い聞かせるように呟き続けた。
 地べたに打ち捨てられた人形がひしゃげて潰れた形になるまでずっとその調子だったという。


 それから人形の倉に近づくことは二度となかった。そして祖母とはできるだけ距離を置くようになった。あんなに大好きだった祖母が、もはや知らない誰かになった感じがして一緒にはいられなくなったからだそうだ。





 この話には3つの問題点がある。

 1つ。それは美樹さんに初めて子供ができたときのこと。

(男の子かな?女の子かな?)
(男の子だったら車のおもちゃか、女の子だったらお人形さんか)

 そんな輝かしい将来を夫婦で語っていたとき、『人形』という単語に反応した当時の奥さんから聞かされたのが、この『人形と祖母にまつわる不気味な思い出』だったこと。


 2つ。妻がその話をした矢先に子供を流してしまい、美樹さんがなんと声をかければいいのか苦しみ悩んでいたときのこと。
 奥さんがお腹をさすりながら「まあ虫みたいなもんやし」とニコニコ顔で口にしたこと。

「そのことが原因で最初の女房とは別れたんだよ」

 ……と、酒の席でほおけた顔のまま話してくれた美樹さん。

「俺、本当は子供好きなんだ……だけどさ、あんなこといわれると……」と何度も言い訳がましくいう彼は、現在、子供はおらず、家庭内暴力が原因でバツ3である。




 3つ。ここからは私の邪推になる。
 美樹さんが最初の奥さんから聞いた話にしては、人形のディテールが妙に細かかったこと。

 もしかすると美樹さんは件の人形をなにかの形で実際にみたことがあるのではないか。

 そのことは最初の奥さまがした人形の話よりも恐ろしいもので、何度再婚してもうまくいかない本当の原因もそこにあるのではないか。


 遠回しにそんなことを美樹さんに聞いても、彼は焦点の合わない目で遠くをみながら「俺、本当は子供好きなんだ……だけどさ、あんなこといわれると……」と言い返されるだけで答え合わせができずにいる。