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Take it easy 人間関係断捨離は自分の“輝ける未来”に向かう入口にすぎない

人間関係の断捨離を実行するには、少し勇気がいると言われている。

でも、いざやってみると、揉め事もなく、スーッと切れていくもの。


私が“人間関係断捨離”がスムーズに行えた要因は簡単だ


『自意識過剰』

に気が付いたことだ(笑)


「自分はこの人たちにとって必要だ」

「自分の働きがこの会社を支えている」

といった考えは【大きな勘違い】。


“他人に期待しない”生き方は、『自分も相手から期待されている』と考えないことだ。


結論から言うと

「他人にとって私は“いなくてもいい”存在だ。」

と思えたら、“人間関係断捨離”は気楽にできる。



サラリーマン時代は、転勤地で数多くの人々に出会ったが



脱サラ後の今も、付き合いが続いているのは、ほんの一握りの人だ。

同じ趣味であったり、同じような価値観であったりする“気の置けない仲間”といえる。


私は、自分にとって必要な人は追っかけていくし、相手にとって私が必要なら、追っかけてくる。

そして本音の対話することによって“双方にとって本当に必要な存在なのか?”が分かる。


しかし出会った大半の人々との付き合いは、その場・その時だけでの薄っぺらなもの。

本音の対話に発展することもない。通りすがりレベルの関係でしかない。


“人間関係断捨離”は、相手に罵声を浴びせたり、殴ったりして、人間関係を破綻させることではない。

クールに相手にしないだけのこと。

私が“人間関係断捨離”しても、誰も追っかけてはこない(笑) 

まぁ 当然と言えば当然のことだ。



そもそも、断捨離とは?


断・・・(余計なモノを取り入れない)
捨・・・(いらないモノを手放す)
離・・・(モノへの執着をなくす)


を通して、生活空間がスッキリさせて、“輝ける未来”を手にいれることを目指す生き方。


“モノを捨てる” “片付ける”のは断捨離の入口にすぎない。

私たちの生活空間は不要なモノであふれ、知らず知らずのうちに身動きができない閉塞感を味わっている。



この閉塞感をなんとか打開したいという思いから、断捨離を始めているはずだ。



『何のために』 『何処に向かって』 を明確にしよう


企業活動においては “目的” “方向性”を明確にしている。



【ミッション】

『何のために』頑張るかを明らかにしている・・・“存在意義”

【ビジョン】

『何処に向かって』頑張るかを明らかにしている・・・“未来の姿”


この “目的” “方向性” を従業員に理解してもらうことが極めて重要だ。


“断捨離”だって同じこと

『何のために』やるのか?

『何処に向かって』頑張るか?

を考えればいい。


自分が描く“輝ける未来”に向かって邁進するのだから、“余計なモノ” “いらないモノ”を断捨離する。



モノが「文句」を言ってくることは無いので、自分の“思い切り”によって断捨離できる。


ところが、人には“価値観”“考え方”といった“意思”があるので、自分の“思い切り”だけ断捨離できないと考えがちだ。



自分にとって足枷になっているのは何だろうか?


「足枷」とは

自由な行動を妨げるもの。足手まといになるもの。


「しがらみ:柵」とは

川の中に杭を打ち並べて、横向きに竹や木などを渡した構造のこと。
「柵(さく)」 「せきとめるもの」 「まといつくもの」 という意味がある。

そして「流れをせきとめるもの」の意から

解きがたい因果、解決が難しい障害要素、複雑に入り組んだ問題や制約、頭を悩ますもの と言った意味で使われる。


つまり、自分にとって「足枷」になっているモノが、「しがらみ」だらけの【人間関係】だったら

節目ごと真っ先に【人間関係“断捨離”】を行えばいい。



『シンガポール・プリンシパル』という言葉をご存じだろうか?


シンガポールには、“ツバや痰を吐く”や“鳥への餌やり”などの場合の罰金制度がある。

これはシンガポール生活でのルールなので、これが嫌だったら?

①  我慢する
②  ルールを変える
③  出て行く

の3つしか選択肢がない という考え方だ。

ルールが自分でコントロールできて、自分のアクションによって変えることができるのならば“熟考”すべきだろう。

しかし、どうやっても自分で変えることが出来ないルールなのならば、考えるのは“時間の無駄”。

上記①②③の選択肢のどれかを選んで行動に移すだけだ。


人間関係も同じこと。

人間関係断捨離も、“出て行く” という選択肢を選んだだけのこと。



自分では“どうすることもできない” “推測でしかない“他人の問題”を基準”にして生きていて、息苦しくないのだろうか?


「本音を言ったら、嫌われそうだから、“言わない”。」

「後で、誰かに、何かを、言われそうだから “やらない”。」

“言わない” “やらない” も自分がそうすると決めたこと。


しかし “嫌われそうだから”“言われそうだから” というのは推測にすぎない。

“他人の問題”なのだから、言わなければ、好かれるか?嫌われるか?わかるはずがない。


「自分の人生を他人に決めてもらいたいですか?」

この問いに 「Yes」 と答える人はいないと思う。

自分の人生は自分が決めるもの。


他人に決められた決断だと、行動力が伴わない。


他人に「こっちのほうがいい。あっちのほうがいい」と決められても、それは、他人の意見であって、自分の意見ではない。


当然、やる気も出ない。



自分の人生は自分の選択でいくらでも良い方向にいくことができる


閉塞感の出口は誰も教えてくれない。

関わる相手は“自分の意思”で決められるのだから、人間関係断捨離は、自分の“輝ける未来”に向かう入口にすぎない。


次のステージへの入口を見つけて、開けることができるのは

自分の“行動”次第。





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