「普通」や「常識」そして「当たり前」は その時代・その社会に生きている多くの人が信じている “思い込み”に過ぎない
“思い込み”を定義すると
「合理的な根拠がなくても、誤った根拠に基づいていても、それと自覚せずに断定・確信・前提としている心の働き」
“思い込み”は、良くも悪くも“行動”に影響を与えているのは間違いない。
「一流大学に入り、一流企業に就職すれば、人生勝ち組だ」という考え方も“思い込み”。
「お金持ちになれば幸せになれる」というのも“思い込み”。
「テレビで紹介されていたから」「有名人も使っているから」から信用できる というのは完全な“思い込み”
「その提案は、“みんな”反対してます」
と“みんな”というワードは安易に使っている。
ところが「“みんな”って誰?」と聞いてみると、明解な答えは返ってこない。
「“みんな”がいいと言っているんだから、いいのだろう」
と、社会的証明の罠にはまってしまって、自分の頭で考えられなっている。
常識や世間体を根拠にしがちで、それも“思い込み”に侵されている。
“思い込み”は、『いい“思い込み”』 と 『悪い“思い込み”』 があるだろう。
どうも、人は、重大かつ前向きな決断を下さなければならない時ほど、『悪い“思い込み”』が大きな壁になっている気がする。
重大な局面ほど、あえて『いい“思い込み”』を持ってきたほうがいいと思うが、、、。
もともと“思い込み”は“先入観”によるもの?
残念ながら 誰もが少なからず“先入観”を持っている。
自分自身では気がついていないだけで、“先入観”は正しい観念とは限らない。
“先入観”とは
前もっていだいている固定的な観念。それによって自由な思考が妨げられる場合にいう。(デジタル大辞泉)
一部分だけを見て全てを決めつけてしまうのが、先入観の悪いところだ。
人は、ものごとの一部だけを見て、全体をわかったような気になる傾向がある。
その情報が正しければいいが、その情報が間違っていれば、組み上げた推測がすべて間違っているということになる。
無数にある中のわずかな情報だけにとらわれてしまって、それが絶対に正しいと考え、他の可能性を排除してしまう。
先入観にとらわれてしまって、現実を正しく見れなくなる、まったくの見当違いの“思い込み”をしているということになる。
科学の上では「血液型と性格に相関関係はない」とされているが
”確証バイアス”とは
社会心理学における用語で、個人の先入観に基づいて他者を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて、それにより自己の先入観を補強するという現象 ( Wikipedia )
簡単に言うと
自分に都合の良い情報ばかり集めてしまい客観的な判断ができなくなる心理のこと。
確証バイアスの例として紹介される事が多いのが血液型占い
血液型別の性格を一言でいうと(個人的集計結果(笑))
A:神経質 B:自己中 O:いいかげん AB:変人
血液型を知らない時は感じていなかったのに、知った途端に
「やっぱりA型なんだ。確かに何かとチェックが細かくてウザいよね。」
「確かにB型ぽいよね。いつの自分に都合の良いことしか言わないもんね。」
「そうそうO型は、大雑把で適当。」
「AB型だと思ってたよ。だって変わってるもん。」
と言った上司を批判する会話をした経験を思い出す。
先入観を取り払うことが出来るのか?
“言うは易く行うは難し”であるが
「先入観をなくそう」ではなく「物事を正しく理解しよう」
と意識することから始めるのだろう。
私自身「傾聴」の重要性を知って、他人の話を最後まで聴くことを意識してきたが、話の前半2~3割を聴いたあたりで勝手に結論を予測して「聴いているふり」をしていることの方が多いようだ。
相手が本当に伝えたいことを最後にポロっと言ったりすると
「それを先に言ってよ。」
と言い出す有様。「傾聴」とは程遠いものだ。
先入観を無くすためには、自分を疑うこと
常に自分を疑うことで、間違った考えに捉われることは少なくなるだろう。
そして、柔軟に物事を考えられるようになり、新しい面白いアイデアが浮かびやすくなるのではないだろうか?
このことも、私の“先入観”で“思い込み”かもしれない(笑)
ワイドショーに踊らされないこと
連日、新型コロナウイルスの話題でにぎわうワイドショー。
ネットでは「不安をあおりすぎ」という批判も多く見られる。
緊急事態宣言での巣篭り生活では、事実を知りたいと思いTVをつけると、日中はどのチャンネルも“ワイドショー”だ。
私は、ワイドショーの報道は、“煽りすぎ”で、偏向して、まったく中立ではないと感じる。
VTRの内容が「一方的に物事を決めつけよう」としていて、画面切り取りによる“印象操作”や“ヤラセ”や“偏向”が強いように思う。
そして、最近は街頭インタビューも「ヤラセ?」と思ってしまっている。
タレントを多くコメンテーターに起用している番組は
「悪いけど、そもそも、あんたの意見は必要ないんだよ。」
と言いたくなるほど“事実”に基づいて議論していない。
そして、専門家を呼んでいても「本当にその分野に詳しい専門家なのか?」とも思うことがある。
感染症の専門医は多忙を極めている状況なので、テレビに出てくれて説明してくれる専門医はさほど多くないはず。
どのチャンネルを観ても、同じ専門医で、“テレビ慣れした人?” を起用しているだろう。
“空気感が伝わりにくい”リモート出演も増えてきたから特に気が付くのが
他人の話を最後まで聞かずに、途中で話を遮って自分の意見を話し出す人が散見される。
子供の頃
「人の話を最後まで聴きなさい。途中で遮ってしまうのは良くない」
と教わったと思うが、大の大人が公共の電波を通じて堂々やっている。
物事を正しく理解しようと意識が欠けていて、公平・中立的な立場から物事を見ようとする姿勢には見えない。
TVのコメンテーターというのは、自分の意見や主張を“言いっぱなし”すればいい職業人なのかもしれない。
いずれにしろ情報過多時代は
「多くの情報源にあたり、鵜呑みにせず自分で判断する姿勢」
が重要で、ワイドショーに踊らされないことだ。
『いい“思い込み”』と『悪い“思い込み”』
『いい“思い込み”』とは
自らのパフォーマンスや今を変えてくれる“思い込み”
『悪い“思い込み”』とは
自らのパフォーマンスを制限する“思い込み”
誰も経験したことがなく、過去からの類推があまり役に立たない“有事”の今
それぞれの立場による“思い込み”によって、行動を制限されたって、聞く耳を持つ人の方が少ないだろう。
「こうでなければいけない」という“思い込み”が人を幸せから遠ざけているのかもしれない。
しかし、自己責任と言いながら、「誰が悪い」と他責思考の人が多いのも事実。
人の気持ちは簡単に分かるはずがない。
多くの場合は、分かった気になっているだけの“思い込み”にすぎないだろう。
“思い込み”を解けるのは、自分にしかできないこと
人は、日常何かを決めなければならない時に、『いい“思い込み”』と『悪い“思い込み”』の二つを使い分けている。
『悪い“思い込み”』は捨てて、『いい“思い込み”』で前向きに進めばいい
Don’t worry about a thing. Cause every little thing gonna be all right.
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