【責任の所在】が“曖昧”なことにより、いざというときに大きな問題が降りかかる
組織でしっかりと役割を果たすために【責任の所在】は、明確にしておく必要がある。
特に危機管理の徹底において【責任の所在】の明確化は、非常に重要なことだ。
大きな組織になればなるほど【責任の所在】はどんどん“曖昧”になっている。
組織の中で大体は決まっているが、“曖昧”なまま放置しているところも多い。
【責任の所在】を問う議論は、“何か問題が起きたとき”に必ず起こる。
しかし【責任の所在】というのは、【責任追及】のために使われるのではなく、“仕事の領分の明確化”で、責任と裁量は常に表裏一体の関係あることである。
何か問題が起きたときに、“原因の究明”、“再発防止”が重要なのであって、『誰が“責任”を取るか?』といった“犯人探し”ではない。
昨日(8月9日)“長崎平和記念式典”をYouTubeのライブ配信で観た際に愕然とした。
右のチャット欄では、“誹謗中傷” “ヘイトスピーチ” 読むに堪えない、恐ろしい“コメント”が飛び交っているのだ。
【言論の自由】なのだろうが、この無法地帯の“野放し状態”は “恐怖の世界”そのものだ。
本名?ネットネーム?団体名?様々であるが、簡単に発信元は発見できるだろう。
恐ろしいコメントが続くと、
「●●●●(発信名)を通報しました」
という通報者が現れる。
また新しい“恐ろしいコメント”発信者が現れ、その通報者が現れる。
その繰り返しだ。
厳かな気持ちで“式典”を観たかったので、すぐにフルスクリーンに切り変えた。
ネットの世界における個人の“見解” “コメント” “誹謗中傷”の投稿の【責任の所在】は、あくまでも、その当事者である個人だ。
誰かに“誹謗中傷”を行う人が、逆に“誹謗中傷”される立場になった場合に、
「今のご気分は?どうですか?」
と聞かれたら、どんな反応をするのだろうか?
「うるせえ!ボケ!黙っとけ!お前に関係ないわ!」
という反応するのだろうか?
その時には、誰かに助けを求めるのではないだろうか?
『正直者が馬鹿を見る』だけとの主張で営業を続ける“感染対策も施していない”夜の街関連の店。
そんな店に行くお客と、その店を取材するジャーナリスト。
その店の取材を放映するマスメディア。
『自粛警察が“悪意”でしかない似非“善意”行為』でイジメ活動を行う一般人と団体。
強制力や罰則のない世界で、
地位やポジションが高い人が「行かないで!」と要請したところで、
【責任の所在】を「行くも行かないも“各自の責任”」
としているのだから、統制するのは無理だろう。
組織内であろうと、コミュニティ内であろうが、一般社会であろうが、究極のところ、個人が育つかどうかは本人の心掛けと取り組み次第。
どれだけ本人の成長にとって素晴らしい環境にあろうと、本人にその気がなければ成長することはない
各組織、コミュニティ、各層のリーダーやインフルエンサーは、各フォロワーの“憧れ”であり“見本”となる“真の大人”として、正しい道に導いて欲しい。
自戒の念を込めて!
< JFKの大統領就任演説 >
In your hands, my fellow citizens, more than mine, will rest the final success or failure of our course.
国民の皆さん、私たちの行く道が最終的に成功を収めるか失敗に終わるかは、私以上に皆さんの手にかかっています。
Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.
国が自分のために何かしてくれるのではなく、自分が国家のために何ができるのかを問うてください。
< Bob Marley の名言 >
Before you point your fingers, make sure your hands are clean.
指をさして人を非難する前に、君のその手がよごれていないか確かめてくれ。
Judge not, before you judge yourself. Judge not, if you’re not ready for judgment.
批判するな。自分自身を批判する前に。 批判するな。 批判する覚悟がないのなら。
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