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ブルーノート・レコードが教えてくれるビジネスの創造性と芸術の独創性の違い

数年前 ハーバード・ビジネススクールの テレサ・アマビール教授が

仕事の生産性や創造性を促進する要素として、働く人のマインドが重要であることは言うまでもない。この、モチベーションの考え方に新しい枠組みを提示したのが、『マネジャーの最も大切な仕事』である 

 について論じた書籍が話題になりました


この書籍の内容に関しては 働く人のモチベーション研究所さん が書かれた投稿記事をご参照ください

組織の創造性 を向上させるには

プレシャーや金銭的報酬といった外因的なモチベーションではなく 興味や楽しさ 満足感 仕事のやりがい などの内因的なモチベーションが高いほど 創造的に働く傾向があり チームワークへの貢献において高いパフォーマンスを発揮する

『創造性を管理する』のではなく『創造性を発揮させる』ためのマネジメントが重要であるという見解を示しています


『創造性を発揮させる』マネジメントでは 最長のジャズ専門レーベルである ブルノート・レコード の事例が参考になると思います

過去の経緯を振り返りながら 『ビジネスにおける創造性』を考えてみます


ブルーノート・レコード


【創 立】1939年
【創立者】アルフレッド・ライオン
【創立地】ニューヨーク



アルフレッド・ライオンの信念


1939年にブルー・ノートを立ち上げた際のプレス・リリース

「ブルーノート・レコードはひとえに、妥協のないホット・ジャズやスウィングを世に届けるべく生まれたといえます。正真正銘の音楽的な情感を伝える演奏だけが、本物の表現なのです。時と場合に応じたその重要性が、音楽に伝統や形式、そしてそれを生かし続けるリスナーをもたらすのです。つまりホット・ジャズは表現であり、コミュニケーションであり、社会を映し出す音楽なのです。ブルーノート・レコードは売上や話題ばかりを求めるまやかしのそれとは異なり、ジャズの衝動性を見出すことを目指すレーベルです」。


「アーティストを理解しないとね。何かを本当に引き出すなら」

という発言している通り アルフレッド・ライオンは ミュージシャンの自由・想いを尊重して 先鋭的・創造性豊かなな表現を全力で支援

ブルーノートは、録音前に必ずリハーサルを行って リハーサルに要した時間のギャラを払っていました



フランシス・ウルフという最強の相棒


フランシス・ウルフは アルフレッド・ライオンの幼なじみ

ブルノート・レコードのエグゼキューティブ・オフィサーで写真家

アルフレッド・ライオンが兵役に就いている間 コモドア・ミュージック・ストアで働き 利益を貯え ライオンが除隊するまで ブルーノート・レコードを維持しました

アルフレッド・ライオンが戻ってきて ブルーノート・レコードが再開すると ミュージシャンたちの当時の姿を フランク・ウルフがカメラで撮影

アルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフの関係は 『本田宗一郎さんと藤澤武夫さん』 『盛田昭夫さんと井深大さん』のような関係だったのではないでしょうか?



最初のヒット ~ ミュージシャン発掘


最初のヒットは シドニー・ベシェ ♬サマー・タイム♬


スゥイング・ミュージックから 40年代の後半から”ビバップ”へ変化していくジャズ界において 新人アーティストの発掘は 必要不可欠

そこで ミュージシャンのスカウト・新人への指導役といった役割を担った人物

アイク・ケベック の存在も重要



アルフレッド・ライオンは 他のレコード・レーベルが見向きもしなかった

セロニアス・モンク の才能に惚れて 彼を支え続けたました

残念ながら 当時は セロニアス・モンクのアルバムは ヒットしなかったんです(彼の良さを 当時の人は理解できなかったんでしょう)



リード・マイルスのモダンなアートワーク


1954年にリード・マイルスは アルフレッド・ライオンに自分のデザインを持ち込んで 1956年からレコード・ジャケットのデザインを担当することになる

リード・マイルスは ジャズ・ファンではなかった

そこが逆に 強みとなって 素晴らしいアートワークを生み出したのかもしれません(音楽性とは直接関係がない視点)


もちろん フランシス・ウルフの素晴らしい写真があってこそのことだったのですが 時には リード・マイルスは 大胆に写真をトリミングするなどして フランシス・ウルフを怒らせることもあったらしいです

そして リード・マイルスが自分で撮った写真で アルバム・ジャケットをデザインしています


<リード・マイルスが撮影した写真が使われたアルバム・ジャケット>





リード・マイルスの報酬はアルバム1枚につき50ドル程度

定職ではないにもかかわらずある土曜日1日で数枚のデザインを制作しなければならなくて 手に負えないときには 友人の若きアンディ・ウォーホルにも手伝ってもらっていました


<アンディ・ウォーホルが制作したアルバム・ジャケット>





ルディ・ヴァン・ゲルダーの歴史に録音技術


ルディ・ヴァン・ゲルダーは 検眼技師として働いていた

実家のリビングは レコーディングスタジオとして使用できるように作られていたこともあって 

1952年頃から プレスティッジ サヴォイ といったレコード会社の録音を手がける様になっていき

1954年初め 

美術家で作曲家 そして バリトンサックス奏者 ギル・メレ の仲介で

アルフレッド・ライオンとの接点をもちました



この出会い以降 ブルノート・レコードの ほとんどの録音は

ルディ・ヴァン・ゲルダー

が行っています


1957年からは ステレオ録音も ルディ・ヴァン・ゲルダー の提案から始まったそうです


『分業』と『調整』の確立


1953年から1954年

「ブルーノート・スタイル」 と称される

『分業』と『調整』の確立された 

『創造性・生産性の高い組織』 

が出来上がっていきました


調整役 :アルフレッド・ライオン

写 真 :フランシス・ウルフ

デザイン:リード・マイルス

録 音 :ルディ・ヴァン・ゲルダー


演奏以外の重要なクリエイティブ部分が この強力な布陣によって確立され 数多くの名盤を生み出していきました


高品質なアルバムであっても一般ウケしなかった


1950年代半ばのブルーノートは 財政的にかなり厳しい状況に

高品質のアルバムを発表してはいたものの ヒット作品が生まれなかった


レコード化されないリハーサルでも参加したミュージシャンたちにギャラを支払っていることもあって ジャズ界のスターと契約する資金も不足していたのでしょう


一般ウケする ジャズ界の大スターがいなかった


このことで アトランティック・レーベルによる買収話しが持ち上がりましたが 何とか持ちこたえました


やっとヒット曲・ヒットアルバムが生まれる


アトランティックの買収計画が ご破算になった頃、経済的苦境から救ってくれるヒット作が やっと生まれます

ホレス・シルバーは、この後も売れる作品を創造していき 経営を助けます


ジミー・スミス のデビュー・アルバム「A New Sound A New Star」は大ヒット


この当時に録音された名盤の一部を紹介します

<ブルーノートの1500番台の名盤>

ジョン・コルトレーン唯一のブルーノート作品『ブルー・トレイン』(1957)

キャノンボール・アダレイ『サムシン・エルス』(1958)


<ブルノートの4000番台の名盤>

ソニー・ロリンズの『ニュークス・タイム』(1957)

ティナ・ブルックス『テゥルー・ブルー』(1960)


予期せぬ大ヒットが最大の危機を招く


オーネット・コールマン の登場による フリー・ジャズ の時代が始まり


多くのミュージシャンが新しい挑戦を始めますが ブルーノート・レコードは 相変わらす ”ハードバップ”路線を突っ走ります


そして1963年のリー・モーガンの 『サイドワインダー』が大ヒット


この大ヒットが ブルノート・レコードを窮地に追い込んでまうことになってしまいました


当時の業界の常識では

納品したレコードの支払いは次回の納品が行われるときに行われる

ヒット作を出し続けていかないと 代金回収ができないことを意味していて 

レコード市場は 膨大な資金力をもった大企業に淘汰されていくことになっていきました


1965年 心労が重なったアルフレッド・ライオンは ブルーノート・レコードを リバティー社に売却 


リバティー社では 旧経営陣がそのまま残ることにましたが

1967年 アルフレッド・ライオン引退

1971年3月8日 フランシス・ウルフ逝去

1979年 ブルーノート・レーベル活動停止


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ブルーノート・レコードの事例で分かった創造性経営の壁


創造プロセスにおいて


【リーダー(調整役)】アルフレッド・ライオン フランシス・ウルフ

ジャズメンにとっての素晴らしい環境を提供する『創造性を発揮させる』 マネジメント


【フォロワー】ジャズメン 

『専門性・専門能力』『創造的思考スキル』で 

インプロヴィゼーション を創造 

インタープレイ という「関係性」で プレーヤー同士の

『モチベーション』を高めていく


【クリエーター】

● 最高の録音を ルディ・ヴァン・ゲルダー 

● 最高のアートワークを リード・マイルス 



完璧なまでの『分業』と『調整』での『創造性の高い組織』ですが 

理想を追求しながらも 外部環境の変化も考慮した上で 資金面 テクノロジーの進化 に対応していかなければならないという 

レコード・レーベル としての 理想と現実のギャップ


創造性・芸術性が素晴らしいからといって 売れるわけでなく

そのものの価値を いかに伝えていくか?という観点の『専門性』

ブルーノート・レコードに マーケティング のプロ が加わっていれば 展開も変わっていたかもしれません



ブルーノートの復活


常に資金難であったブルーノート・レコードの倉庫には かつて録音したもののレコード化できなかった 膨大なテープや貴重な原盤の数々が眠っていました

そこに 当時24歳だったジャズ評論家 マイケル・カスクーナ が現れて ブルーノートの持つ音源の復刻を行うべく倉庫にこもり始めました

その動きによって

1984年 ブルース・ランドヴァル がブルーノートの社長に就任


1985年2月22日 『ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート』開催

アルフレッド・ライオン リード・マイルズ ルディ・ヴァン・ゲルダー

かつてのスタッフが出席


1987年2月2日 アルフレッド・ライオン 逝去


まとめ


ビジネスにおける『創造性』は 芸術における『独創性』とは違います

『適度な利便性があって 簡単に実行に移せるもの』でないと組織内でのコンセンサスを得るのは難しいでしょう


『ダイバーシティ(多様性)』『インクルージョン(包摂性)』『ビロンギング(帰属性)』という概念が ”当たり前” のように浸透している組織で

「部門と部門」「メンバーとメンバー」「現場と経営陣」といった異なる部門や立場の人の間に入って それぞれ役割や仕事の内容を説明できる

ビジネス内容 ”通訳” ”調整役” といった役割の人 

の存在が重要な気がします


”部分最適” を積み重ねていくだけでは ”全体最適”になりません

逆に ”全体最適” を優先していくと 【没個性・均一化】に繋がって 『創造性』は乏しなり 破壊的イノベーションは 期待薄になります


日本企業に多い ピラミッド型組織の問題点を論じている 楠瀬啓介さんの投稿『ピラミッド型組織の性能限界』は とても参考になります

構成員同士の関係が硬直化しやすいピラミッド型から、構成員同士が相互に影響し合い柔軟に関係を変化させていけるネットワーク型に転換させる必要がある


創造性のある企業に変革していくには

『多様性』『関係性』『文化・マインド』『エンゲージメント』

といった観点に メスをいれていくことが必要です



そして何よりの真っ先に実行しなければならないのが

前例踏襲主義で 固定観念・既成概念を壊せない 

経営陣 の 脳内アップデート では?



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