一億総“非難家”時代 寝言・戯言・空言・妄言 言いたい奴には言わせとけ!
「人を『非難』するのは簡単」というフレーズはよく見聞きする。
「人を『批判』するのは簡単」というフレーズも見聞きすることは多い。
しかし「人を『批評』するのは簡単」というフレーズを見聞きすることは殆どない。
『非難(批難)』とは?
他人の間違いや欠点を上げて叩くこと
言い放てばいいだけで
「で?どうしたらいい方向に向かうのか?」
という代替案を必要としないから簡単だ。
「人を非難するのは簡単」
というは間違っていないと思える。
では「人を批判するのは簡単」だろうか?
『批判』とは?
物事の真偽や可否を検討した結果、判定や判断をすること
ここで“判定”と“判断”という概念がでてくる。
“判定”は
何かしらの基準や結果をもとに、ものごとを決定すること
“判断”は
ある事柄について考えをまとめて定めること
『批評』とは?
物事の良し悪しや可否などについて、客観的に評価を述べること
考えがまとまって 【判断した『批判』】 ≒ 『批評』なのだろう。
『批評』できる段階に至れば、代替案の提案ができるようになる訳だ。
「非難・批判が殺到する」 と言うが
「批評が殺到する」 とは言わない
『評論』とは?
特定の物ごとや分野について、価値や善悪、優劣などを考察して論じること
『評論』は『批評』よりも、論じることに重きを置いた言葉で
「自分の意見を述べることなど」 だ。
ある作品に対する感想を述べるだけでは『批評』ではあっても『評論』ではない。
『評論』には、根拠や、自分の意見、さらに発展させた話が必要となる。
整理してみると、こんな感じだろうか?
批評家:ある事象を 主に“批判的な立場” から、良し悪しを判断する人
評論家:ある事象を “肯定”と“否定”の両面から論じる人
『他人の不幸は蜜の味』
今は、ネットやSNSを通じて、「公然」と陰口で盛り上がれる時代。
マスコミは、人の不幸を語ることで、人の不幸を喜ぶ人に喜んでもらっている。
それ故に昨今は 「マスゴミ」 になってしまった。
マスゴミと“マスゴミの不幸情報が好きな人々”に
「じゃあ、具体的にどうすればいいの?」
「批判や批評はわかったので、代案は?」
と聞くと、誰もが「なるほど」と納得できる回答はできないだろう。
『非難』『批判』『批評』、そして『評論』も“声帯”を動かすだけで出来ること。
『実践』は多くの場合人を動かしたり、自分の行動を制限したりしなければならないので難しい。
「言うは易し行うは難し」
「実践に勝るものなし」
評論家って?
評論家と呼ばれる人の中には、実践経験のない人が数多くいる。
映画評論家などは、映画を鑑賞するばかりで、自分で映画を撮ったことのない人だらけ。
映画は、評論家が酷評したとしても、ヒットすればある意味成功だ。
映画評論家が、作品の内容が素晴らしいのに、ヒットしなかった原因は何なのか?といったマーケティングの視点から論じられたりすると、別の意味で勉強になる。
政治評論家も、政治学者や、政治部の記者であっても、政治家となって世の中を動かした経験のない人だらけ
政治は、結果が全てで、評論家が何を言おうと関係ない。
政治を一般人に分かりやすく解説してくれる解説者ならば必要とは思うが、どうも政治評論家と名乗っている人のセンスが理解できない。
政治家と政治評論家は「持ちつ持たれつ」の関係で、マスゴミを通じて世論操作しているのかもしれない。
本当に怖いのは?
マスゴミによって伝えられる、評論家の偏った考え方や、TVのワイドショーのコメンテーターの薄っぺらな無責任発言を鵜呑みにして“善悪”の判断、“真意”の理解すら出来ない人々が、一時の感情や気分だけで“個人的見解”をネットやSNSで発進することだ。
この種の人々は “非難”家
今は、一億総『非難家』時代 というフレーズが正しい。
「恥ずかしながら、鬱病を患ってしまいました。」 ドアホ! どこが、鬱病になって恥ずかしいんだ。
アスリートだって芸能人だって“心の病”と闘っている人がいる。
外傷や手術したといった“見える化”されていれば、まだ他人には状況を伝えられるが、“心の病”は他人に見えにくい。
本人は“不調”を他人に分からないように“我慢”と“無理”を続ける。
この“我慢”と“無理”が、その人の許容範囲を超えた時に、深い闇の中での迷走に陥っていく。
健康経営企業、メンタルヘルス体制が充実している と豪語している大企業ほど、“心の病”を患う従業員が多いと聞く。
病欠・休職制度によって金銭的には手厚いバックアップがあるが、競争の相手が大勢いる“出世レース”においては、“心の病”による脱落からの復帰は容易ではない。
復帰できても、当然のことではあるが、簡単な仕事しか与えられない“リハビリ期間”から始まる。
腫れ物に触るような職場メンバーの対応
“よそよそしい”空気感
“厳しい”色眼鏡
との“闘い”がスタートする。
新しい闘いの日々で
この新しい“闘い”に挑んでいかなければ、“出世レース” には戻れない。
この新しい“闘い”で、“我慢”と“無理”を重ねてしまうと、二度目のリタイアになりかねない。
この新しい闘いは
自分と闘いのであって他人と争うものではない。
自分のペースで、焦ることなく、やっていく闘いだ。
この闘いは、一回りも二回りの強くなった“精神力”と、他人に対する“優しい気持ち”をもたらす。
更に、ご褒美として『自分との上手な付き合い方』が贈られる。
残念ながら、どこの世界でも、悪気なく、デリカシーのない発言をしてくる“非難家”は多い。
寝言・戯言・空言・妄言 言いたい奴には言わせとけ!
“非難家”を相手する時間ほど“無駄”なものはない。
他人は他人 自分は自分
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