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What's Stax ? Why Stax Now ? ②  初期の忘れてはいけないアーティスト

ウイリアム・ベル(William Bell)

William Bell

ウィリアム・ベルは幼い頃、医師になろうと考えていました。
友人の勧めで出場したメンフィスで毎年開催される中南部タレントコンテストで第 2 位を獲得。
この賞品はスタックス・レコード(当時はサテライト)とのレコーディング契約だったのです。

そしてデビュー・シングル「Formula Of Love(A面)/You Don't Miss Your Water(B面)」をリリースします。

ラジオDJが、B面の「You Don't Miss Your Water」を流したことからローカル・ヒット。

ベルはオーティス・レディングの親友でした。

“When he first came to Stax, we did a lot of touring together and got to be really close friends. Naturally, his music had an influence on me. Before then I was exclusively a ballad singer. By being with Otis Redding and working with him on a lot of tunes, it gave me an insight on upping the tempo of the songs. I guess he probably got a lot of things from me and other artists at Stax as well,”

「彼が最初にスタックスに来た時、私たちは一緒にたくさんツアーをして、本当に親しい友人になりました。自然と彼の音楽は私に影響を与えました。それまで私は純粋にバラード歌手でした。オーティス・レディングと一緒にいて、多くの曲で彼と仕事をすることで、曲のテンポを上げる洞察を得ました。私だけでなく、スタックスの他のアーティストも、彼からおそらく多くのことを得ていたでしょう」

デヴィッド・ポーター(David Porter)

David Porter

デヴィッドは、ブッカー T ワシントン高校を卒業した後、ルモイン大学に 1 年間通い、ビジネスを専攻しました。
(高校時代の親友:アース・ウインド&ファイアーのモーリス・ホワイト
(高校の後輩:ブッカー・T.ジョーンズ)

保険セールスをしていた彼は、食肉梱包業者のアイザック・ヘイズに保険を販売しようとしたことがキッカケとなって、彼らは音楽の話になり、サテライト・レコードに入社します。

デヴィッドは、スタックスの最初のスタッフ・ソングライターであり、Artists and repertoire (A&R)として活躍します。

List of songs written by Isaac Hayes and David Porter


アイザック・ヘイズとデヴィッド・ポーターの作詞作曲コンビの最初の大ヒットが?


1965年のリリースしたデヴィッド・ポーターのソロ・シングル「Can't See You When I Want To」


バーブラ・スティーブンス(Barbara Stephens)

Barbara Stephens

1961年、バーバラは、サテライト・レコードで数曲録音します。
 レーベルでの在籍期間はわずか 2 年で、意見の相違のため、彼女は会社を辞め、レーベルとの関係をすべて断ち切りました。
「I Don't Worry」、「If she Should Ever Break Your Heart」、「The Life I Live」、「Wait A Minute」などのヒット曲をいくつか出しました。

1970年のツアー後、結婚して芸能界を引退しました。
(彼女の画像や映像は殆ど残っていません。)


デル・リオス(The Del Rios)

The Del Rios

デル・リオスは、50年代から活動しているメンフィスの先駆的なボーカル グループの 1 つで、ウイリアム・ベルが所属していました。

スタックスから数枚のシングルをリリースしますが、情宣もあまり行われなかったので、当時はヒットには至りませんでした。
しかしウイリアム・ベルの作品ですので、隠れた名曲です。


ボビー・マーシャン(Bobby Marchan)

Bobby Marchan

1963年スタックスに移籍。オーティス・レディングの勧めでVolt所属に。
ドニー・エルバートの「What Can I Do」のカバーを始め、2枚のシングルをリリース。

マーシャンは10代の頃に女装をするようになり、パウダー・ボックス・リヴューと称するドラッグクィーン団体を結成していました。


ザ・アスターズ(The Astors)

The Astors

彼らは 1958 年にザ・ダンティノスとして活動を開始し、1961 年にプロデューサーのチップス・モーマンの名前にちなんでザ・チップス となりました。 その名前で、彼らはスタックスでシングルを1枚録音します。

1963年に彼らは名前を「ザ・アスターズ」に変更し、スタックスから4枚のシングルをリリース。スタックスを通じてエースからさらに5枚のシングルをリリース。


ヒット・チャートから見たStax


1962年9月15日付ビルボードR&BチャートでBooker T. & the M.G.'s「Green Onions」が第1位の大ヒット。(9月29日、10月13日・27日での第1位)
このヒット以降、スタックは、前述の素晴らしいアーティストを要しながらも、大ヒットと呼べるほどの楽曲がありませんでした。

オーティス・レディングですがヒット・チャートに顔を出すことはありませんでした。(1964年に「Chained and Bound」がチャートにランクインしたとか、しないとか、、、)


1960年代のアメリカは、公民権運動が盛んに行われていた時期でもあり、人種問題は非常に敏感なテーマでした。
R&Bやソウル・ミュージックは、アフリカ系アメリカ人のアーティストによって主に演奏されており、これらの音楽は人種の壁を超えて広がる力を持っていましたが、アメリカ国内では人種隔離政策や差別がまだ存在しており、特に南部での演奏時に多くの障害に直面していたのです。


ビルボード誌【1963年11月30日付号から1965年1月23日付号】:黒人アーティストのランキング(R&Bチャート)が未掲載となります

ビルボード誌サイドは次のように苦し紛れの弁明をします。

「これだけ様々なジャンルの音楽が巷に溢れている今、わざわざR&Bチャートをジャンル分けして掲載する必要がない」

この弁明をしながらも、1965年からR&Bアルバム・チャートがスタートさせるのです。


続く、、、

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