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名盤『Kind of Blue』を読んで学ぶ集団創造性に影響を与える個人主義

【個人主義の良いところ】=人が考えつかない方法や工夫を思いつくこと

【集団主義の良いところ】=一致団結して成果を出そうとすること

集団が創造的であるためには『”発想”は個人主義 ”完成”は集団主義』?


”20世紀のジャズが到達した最高峰”アルバム『Kind of Blue』を読んで

集団が創造的であるためには『メンバー相互の多様性と類似性がともに必要となる理由』を考えてみます


『Kind of Blue』のレコーディング


レコーディングは コロンビア・レコードのニューヨークの30丁目スタジオで2日間で行われました


【Session1(1959年3月2日)】

スタジオには レギュラーのウィントン・ケリーと 4カ月前に解雇されたビル・エヴァンスの二人のピアニストがいます

ジョン・コルトレーン(エヴァンスとの確執が噂されていた)は レコーディング前には マイルスに グループ脱退の意向を伝えていたとも言われています


そんな異様な緊張感の中で マイルスは 普段通りにクール

何を演奏するかを示唆した“草案(sketches)”をメンバーに渡し 

簡単な打合せをして 最初に録音する曲として


「Freddie Freeloader」を指定(ピアノはウィントン・ケリー)



1発でOK マイルスの指示でウィントンはスタジオから去ります


ピアノはエヴァンスに変わり ここからがモード奏法へのトライアル

「So What」

「Blue in Green」を録音 

1テイクOK



【Session2(1959年4月22日)】


「All Blues」(1テイクOK) 

「Flamenco Sketches」(2テイク アルバム収録は2テイク目)


5曲全て 事前の熟考や擦り合わせのない 出たとこ勝負のガチセッション



『Kind of Blue』のライナーノーツ


ライナーノーツを書いたのは ビル・エヴァンス

「Improvisation In Jazz」 by Bill Evans

There is a Japanese visual art in which the artist is forced to be spontaneous. He must paint on a thin stretched parchment with a special brush and black water in such a way that an unnatural or interrupted stroke will destroy the line or break through the parchment. Erasures or changes are impossible. These artists must practice a particular discipline, that of allowing the idea to express itself in communication with their hands in such a direct way that deliberation cannot interfere.
ここにひとつの日本絵画がある。その絵画において、描き手は、無意識であること、自然であることを強いられる。ごく薄くのばされた紙に、特別な筆と黒い水を使って描いていくその絵画では、筆運びが少しでも不自然だったり失敗したりすれば、たちどころに線は乱れ、紙は破れてしまう。そこでは、もはや消去や修正は不可能なのだ。描き手は、特別な鍛錬を積まねばならない。自らの手と交感しながら、頭の中に生まれた着想を瞬時に紙の上に定着するために必要な特別な鍛錬を。


『Kind of Blue』を「日本独特の絵画の世界に通じている」と例えています

消去や修正ができない 一発勝負

そこには 鍛錬を積んだ 匠の技


The resulting pictures lack the complex composition and textures of ordinary painting, but it is said that those who see well find something captured that escapes explanation. 
その結果生まれる絵は通常の絵画と比べて複雑な構成や質感を欠くが、見る人が見れば、説明の要らない何かを捉えていることが分かるという


『洗練』=「余計なものを取り除く」+「磨き上げて上品にする」



創造的逸脱による個の表現


インプロヴァイゼーション(Improvisation)【即興演奏】とは

楽譜やメモによらずに即座に演奏し 生きた音楽を創造する行為

① 基礎技術の習熟

② 創造的逸脱の勇気

③ 個のスタイルを貫く意志の強さ

があってこそ 可能となる


一人のアーティストの即興演奏ですら簡単でないのですから 複数のアーティストの協働となると 更に難度が増します


このインプロヴァイゼーションに関して ビル・エヴァンスは

Group improvisation is a further challenge. Aside from the weighty technical problem of collective coherent thinking, there is the very human, even social need for sympathy from all members to bend for the common result. This most difficult problem, I think, is beautifully met and solved on this recording.
グループ・インプロヴィゼーションは更なる難問である。全体における重要な技術的な問題とは別に、全メンバーが共通の結果を目指すべく心を一つにしなければならないという、非常に人間的で社会的ですらある必要性がある。この最も難しい問題は、思うに、この作品においては非常に美しく対応され、解決されている。


複数のアーティストによる【即興芸術】は

「the common result(共通の結果)」に対する「sympathy(共感)」


技術的な問題とは別に、全メンバーが共通の結果を目指すべく心を一つにしなければならないという、非常に人間的で社会的ですらある必要性



オーケストラ型組織とジャズコンボ型組織の創作方法の違い


日本型経営企業の働き方の特徴は

没個性的に型にはめた 枠の中で 根回しをして 中心者に従いながら一致団結して組織として働く 

何度もリハーサルをやり 音を重ねて 入念に作品を作り上げていく 

オーケストラ型組織


絵画でいうと 色を重ねながら 筆を重ねていく 油絵


失敗のリスクを減らし 完成状態に目途をつけての創作

知の深化 ⇒ 持続的イノベーション に適した組織

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個のスタイルを貫通させる意志をもった 個性的なメンバーで構成される 即興演奏の 

ジャズコンボ型組織の創作は エヴァンスの言葉を借りると 

書・墨絵 のようなもので 一発勝負の『ハイリスク ハイリターン』創作


知の探索 ⇒ 破壊的イノベーション に適した組織


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知の探索を行う組織の位置づけ


経営文化の国際的比較をするサイトによると

個人主義指数トップ=アメリカ(指数〈91〉)

最下位=グアテマラ(指数〈6〉)

日本=(指数〈46〉)(組織主義:個人主義=54:46)世界25位


日本は圧倒的に『組織主義』と思っていましたが 

『組織主義』と『個人主義』のハイブリッド型社会

と考えた方がリーズナブルなのでしょう


スクリーンショット (268)


私は『メイン事業から簡単に離れらないので”知の探索”はスピンアウト組織が望ましい』と考えてきたのですが


「個人の主体性」を持ちつつ「集団主義」的にふるまう 

日本型経営企業に属する人々の特性を考えると


『”知の探究”こそ最重要である』という経営陣の”本気度”を示す意味でも 企業内での位置づけを(サッカーに例えて)


知の探索 = ジャズコンボ型組織 = サッカー日本代表チーム

クラブチームで 選ばれる組織個の力を磨き上げた人 が選ばれる最高峰に位置する短期プロジェクト型組織


この組織を設置することが 理想的という考えに至りました


この組織形態によって

働き手に求められるのは【個の力を磨き上げる】プロフェッショナル

という意識も芽生えるはずです



発想は個人主義 完成は集団主義

「the common result(共通の結果)」に対する「sympathy(共感)」

が可能となる組織



必要なのは『シェアード・リーダーシップ』


『Kind of Blue』の創作現場において もちろんマイルスはリーダー的な存在ですが 指揮者でもありません

いざ演奏が始まれば 彼はトランペットの演奏に集中するだけで 他のメンバーに指図などしません


各メンバーは それぞれ “創造的に逸脱” しながら インタープレイで 他のメンバーに仕掛けたり 感性と技を繰り出し合いながら 最高の作品を創造していきます


リーダーは マイルスであり エヴァンスであり 他メンバーである

シェアード・リーダーシップ

これが 『知識ビジネス産業』 に必要な リーダーシップの形でしょう



最後に


マイルスは『Kind of Blue』に関して「失敗した」と語ったとされています

I didn't write out the music for Kind of Blue, but brought in sketches for what everybody was supposed to play because I wanted a lot of spontaneity in the playing, just like I thought was in the interplay between those dancers and those drummers and that finger piano player with the Ballet Africaine. Everything was a first take, which indicates the level everyone was playing on. It was beautiful.(中略)When I tell people that I missed what I was trying to do on Kind of Blue, that I missed getting the exact sound of the African finger piano up in that sound, they look like I'm crazy. Everyone said that record was a masterpiece -and I loved it too- and so they just feel I'm trying to put them on. But that's what I was trying to do on most of that album, paticularly on "All Blues" and "So What." I just missed.
「カインド・オブ・ブルー」の時は、楽譜は書かずに、全員が演奏すべきスケッチだけを持っていった。あのアフリカ・バレエ団のダンサーとドラマーと、フィンガー・ピアノの間に存在していたインタープレイのような、自然発生的な要素が欲しかったからだ。ほとんどファースト・テイクで完了したところに、あのバンドのレベルの高さが示されている。だがな、結果的には失敗だったんだ。オレが「カインド・オブ・ブルー」で、やろうとしていたことをやり損なったとか、アフリカのフィンガー・ピアノのサウンドを再現し損ねたと言うと、みんな、頭がおかしいんじゃないかと思うだろ。誰もがあのレコードは大傑作だと信じていたから、オレがかつごうとしているとでも思うだろう。オレだって「カインド・オブ・ブルー」が好きなことは好きだ。だが、特に<オール・ブルーズ>と<ソー・ホワット>でオレがやろうとしたことは、完全な失敗だった。


「マイルス・デイヴィス自叙伝」における中山康樹氏が「失敗」という和訳が 誤解を招いた原因と私は考えています

マイルスは

だが、初めに何かを書き、それを基に他の連中が演奏していった場合、彼らの想像性や想像力がまったく予想と違った展開を見せ、結果的に自分が考えていた通りの形にならないのはよくある話だ。で、結局オレがやろうとしたこととは、まるで別の結果になってしまった

と語っています


ギニアのアフリカ・バレエ団を見て 特にフィンガー・ピアノに感銘を受けたので 自分の音楽に取り入れたいと思っていた試みは”実現できなかった”

しかし『Kind of Blue』は 各メンバーのレベルが高い想像性や想像力によって 素晴らしい作品が出来た という意味と 私は解釈しています


常に最先端の音楽を探し求めて 創造し続ける イノベーター

マイルス・デイヴィス の真髄 





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