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R&Bとソウル・ミュージック④サム・クックの功績

Sam Cooke (本名:Samuel Cook)

1931年1月22日:ミシシッピー州クラクスデイ生まれ
1933年にクック家族はシカゴに移住します。

シカゴで少年達からなるゴスペル・グループ(Highway Q.C.'s)に加入。

50年代前半に名門ゴスペル・グループ(The Soul Stirrers)のリード・シンガーとして本格的なキャリアをスタート。

最初のレコーディング「Jesus Gave Me Water


56年録音の「Wonderful」は名演


『黒人霊歌』と『ゴスペル』の違い

『黒人霊歌』

黒人奴隷がキリスト教に改宗された理由は、奴隷たちがより従順になってプランテーション経営が安定すると考えたプランター(白人農業主)のエゴから始まりました。

プランターは奴隷たちに、読み書きを習うこと、居住区から勝手に外出すること、自分たちだけの集会をもつこと、呪術的行為をおこなうこと、太鼓を叩くことなどを禁止しました。(奴隷たちが団結して暴動を起こすことを恐れていたのです。)

しかし、キリスト教は黒人を目覚めさせました。

ゴスペルの前身といわれる『黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)』は、基本的には厳しい奴隷制を耐え抜くために、「見えない教会(invisible church)」で歌い継がれていった宗教音楽です。

『黒人霊歌』は彼岸の理想を歌うものであると同時に、現実に迫りくる奴隷主の鞭や、首つりの脅威から身を守る実在的な「韜晦(とうかい)」になるのは当然であろう。そして歌うことは「秘匿」すると同時に「治癒」の効果もあった。
「奴隷たちは言葉では公には言い表せない事柄を、歌で装って表現し彼らの人間性の重要な部分を傷つけられずに保ち、かつ彼らの希望を生かしつづけたのである」(黒人神学者:ワイヤット・T・ウォーカー曰く)

後藤護著「黒人音楽史」より抜粋

『黒人霊歌』は、暗い情念が渦巻いているのです。


『黒人霊歌』は、南北戦争以前の奴隷制時代に創造された音楽ですが、『ブルース』は南部再建時代の”自由黒人”が創造した音楽です。
『ブルース』は、俗なる現実の悲惨や情欲を歌うことから”悪魔の音楽”と呼ばれることもありました。



『ゴスペル』

いまある『ゴスペル』の形ができあがったのは、1920年代後半のシカゴのバプティスト派教会だと言われています。

大雑把に言うと、『ゴスペル』は、『黒人霊歌』と違って、歌い継がれてきたものではなくて、大半は黒人音楽家によって作詞・作曲されています。
古くから歌い継がれてきた『黒人霊歌』をベースとして、新たな歌詞をつくったり、編曲したりして、楽器(オルガンなど)の伴奏があり、シンコペーションと打楽器的なリズムを伴っています。

「ゴスペル音楽の父」=トーマス・ドーシー

Thomas Andrew Dorsey(1899年7月1日 - 1993年1月23日)

ドーシーは、アトランタの近くで牧師の息子として生まれ、独学でピアノをマスター。ブルースの世界に入り、”ブルースの母”「マ・レイニー(Ma Rainey)」のバックを務めました。

Ma Rainey

1928年にタンパ・レッドと共同で出した「It’s Tight Like That」という曲が700万枚の大ヒット(ドーシーの芸名=ジョージア・トム)


1932年、ドーシーの妻の産後の肥立ちが悪くて急死。それから1週間後に赤ん坊も急死。この不幸をきっかけにして、ブルースの世界から足を洗い、宗教音楽家に転身。

最初は「世俗的すぎる」と批判もありましたが、400曲以上のゴスペル・ソングを作り、礼拝には欠かせない音楽となりました。

マヘリア・ジャクソン(Mahalia Jackson)

ドーシーがつくった歌を歌って世に広めたのがマヘリア・ジャクソン
彼女は、生涯、ブルースを奏でる”退廃的”なナイトクラブには出演しませんでした。

Blues are the songs of despair, but gospel songs are the songs of hope

Mahalia Jackson


You Send Me

Keen Records

1957年9月7日「You Send Me」がリリースされました。

ビりボード誌トップ100とR&Bシングル・チャートの両方で1位という”偉業”を成し遂げたのです。
これをきっかけにサム・クックは、数々のヒットを飛ばします。

1959年:キーン・レコード時代に録音し未発表曲『ワンダフル・ワールド』がヒット

1960年1月:大手RCAビクターと契約。担当プロデューサとしてヒューゴ・プレディとルイジ・クレアトーレが付きました。
この当時、RCAには黒人アーティストは事実上一人もいませんでした。

まず、ヒューゴ&ルイジがプロデュースしたアルバムが制作されます。

1960年5月リリース
1960年8月リリース

1960年7月26日
RCAからの最初のシングルとしてサム・クックのオリジナル曲『チェイン・ギャング(Chain Gang)』がリリース

ビルボート誌Hot100、R&Bチャートともに最高位2位のヒット

1961年
J・W・アレクサンダーと彼のマネージャーのロイ・クレインとともに自身のレコードレーベル、SARレコードを設立。

このレーベルには、シムズ・ツインズ(Simms Twins)、ヴァレンティノズ(The Valentinos)(ボビー・ウーマックとその兄弟)、メル・カーター(Mel Carter)、ジョニー・テイラー(Johnnie Taylor)が加わります。

加入したアーティストは、現役または元ゴスペル・シンガーです。

「It's All Over Now」は、後にローリング・ストーンズにカヴァーされて大ヒット

また、クックは「カグス(Kags)」という名前の出版および管理会社を設立

サム・クックほど「黒人としての誇りを持ち続け」て「黒人である自分は社会に何を貢献できるか?」を常に考えていたシンガーはいませんでした。
歌を通じて「人が人種や性別関係なく様々な人種と共存するには お互いを理解し尊重し合うことが必要だ」と社会に訴え続けました。


「ジャズはブルースの後継者ではないにしても、ジャズはブルースから生まれ、やがて独自の道を歩んだのである」というフレーズがある。
(リロイ・ジョーンズ (LeRoi Jones)著書『ブルース・ピープル』)

このフレーズを拝借すると

ソウル・ミュージックは、ゴスペルの後継者ではないにしても、ソウル・ミュージックはゴスペルとブルースから生まれ、やがて独自の道を歩んだ

そして、ソウル・ミュージックの構成要素として「異人種間の融合」という側面は避けて通れない。



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