“リスクコミュニケーション”って何?
男子テニスで世界王者のノバク・ジョコビッチが、新型コロナウイルスの検査で陽性反応を示したというニュースは、私自身のビジネス活動に
「ちょっと待てよ?感染症対策は十分なのか?」
と冷静に見直す機会となった。
ジョコビッチは、慈善大会「アドリア・ツアー」を、母国のセルビア、クロアチアなどで主催した。
参加していたプロテニスプレーヤー、大会スタッフにも感染者が出て、大会は中止に追い込まれた。
ロイター通信によると、大会の観客席は間隔が取られず、選手は握手やハグ、集団で記念撮影をしたり、バスケットボールで遊んだりしていたらしい。
ジョコビッチ自身の公式サイトで
「集まった資金は必要とする人たちのために役立てようという考えから生まれた」
と釈明し、
「感染者に大変申し訳なく思っている」
と謝罪した。
しかし、ジョコビッチほどのスーパースターならば、大会関係者に医療関係者もいただろうが、ソーシャルディスタンスもマスクも着用しないBeforeコロナ時代と同じ状況で、なぜ?開催したのだろうか?
「自分はスーパースターだから、ウイルスも“忖度”するさ!」
とでも思っていたのだろうか?
昨今、TVニュースやネット上で【リスクコミュニケーション】という言葉を聞く機会が増えてきた。
<WHOの定義>
リスク評価者、リスク管理者、および利害関係者との間での、リスクの意見・情報交換を行う相互プロセスのこと。
<NRC(アメリカ原子力規制委員会)の定義>
健康、安全、セキュリティまたは環境のいずれかに関わる懸念事項について会話または書面という形で相互の対話を行うプロセスである。
と定義している。
雑ではあるが、私は、
「“リスク”についての利害関係者との情報共有活動」
と説明している。
“リスク”の説明には、専門家でなければ分からない“技術的側面”や“専門用語”が多く、その他の一般人(専門家ではない人)に情報共有するには、
“わかりやすく”“平易な”言葉で
伝えていかないとに正確に伝わらない可能性が高い。
“リスク”とは、『将来への“不確かさ”』と『その“影響”』のことだが、
人それぞれの感じ方や評価も違っていて、仮に、まったく同じ状況下でも、全員が同じ認識とは限らない。
従って、【感染防止】と【社会経済活動】と両立していかなければならない“Withコロナ”時代は、今まで以上の正確な情報共有が不可欠となる。
『実態のはっきりとしていないウイルスには、油断してはいけない!』
ということだけは間違いないが、怖がって引きこもってしまうと、経済は回らない。
店舗側としては、出来る限りの“感染対策”を施して、多くのお客さんに来て欲しい。
消費者側は「本当に大丈夫?」という“不安感”は拭えないので、Beforeコロナの“日常”“当たり前”には戻れない。
双方の思いが一致していない。
私見ではあるが、「怖がり過ぎないで」と言いながらも、テレビやマスコミがいたずらに恐怖をあおっているような感覚は否めない。
6/24に政府の専門家会議メンバーが記者会見を行ってる最中に、西村康稔経済再生相が、『専門会議を廃止し、有識者会議の下部組織として、今後のコロナ対策を話し合う分科会を作る』と会見で明かした。
専門家会議の尾身茂副座長は、
「今、大臣がそういう発表をされたんですか?」と、
記者の質問にこう困惑した表情を見せていたのは印象的だった。
この“アンバランス(不一致)”を目のあたりにすると、「また、政治家や官僚の“闇”事情があるな?」と穿った見方をしてしまう。
今は、【競争論理】でなく、【協力論理】で行動すべきなので、
① 【専門家委員会の廃止】は、“発展的解消”
② 新しくできる分科会は、【責任分担・役割分担が明確になった“正確な情報を共有”してくれる組織】
であると期待したい。
様々な情報(デマ情報含む)が飛び交う今だからこそ、
それぞれの“言葉の定義”
(コミュニケーションを円滑に行うために、言葉の正確な意味や用法について、人々の間で共通認識を抱くために行われる作業)
は絶対に必要だ。
やたらと、英語(カタカナ語?)や専門用語を伝いたがる人は多い。
突然「オーバーシュート」とか「ロックダウン」と言われて、直ぐに意味がわかるだろうか?
私は意味を調べるためにググった。(笑)
知らなかった言葉を知るという機会としてはいいが、
『正解のない問題に取り組んでいる』」緊急事態時のリーダーには、
誰もが理解できて“わかりやすく”“平易”は表現を心がけてもらいたいものだ。
テレビもマスコミも同じこと。
私は「自粛要請」というフレーズには、どうしても違和感がある。
これって正しい使い方なの?
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