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式根島旅行(に行けなくなってしまった)記

今年の島旅行は中止になった。毎年仲の良い友人達と必ず行っている島旅行だ。そのために生きていると言っても過言ではないくらい、冠婚葬祭と同じくらい人生の中で重要な島旅行が、コロナのせいで行けなくなってしまった。

まあ島は逃げないし、恨み節ばかり書いていても仕方がないから、今年行くはずだった式根島の思い出でも書こうかね。

式根島のおもいで

式根島には2度目の旅行になるはずだった。前回行ったのは2013年だから7年前、まだ体力が無限にあった頃だ。7年経っていろんなことが変わってしまった。俺は7年間独身のまま、2歳下のイケメンも俺の後を追うように独身のまま。ひとりは相変わらず「何かいいことないかなー」と呟いている。何も変わってないな。強いていえば式根島に行く船が新しくなったことくらいだ。

この船にはめちゃくちゃ乗りたかった。めちゃくちゃ楽しみにしていた。残念で仕方がない。旧さるびあ丸の丸みを帯びたケツも良かったが、橘丸とおそろいの直線的なケツも悪くない。そして、先代さるびあ丸から引き継いだ青と白の上品な配色。黄色と緑のビビッドな橘丸の配色も鮮やかな太平洋上で非常に映えるのだが、この王道の配色も伊豆諸島のどこでも風景に馴染むことは間違い無い。先代さるびあ丸の甲板はどこが風を避けられるか、どこで気持ちよく酒を飲めるか熟知していたが、新さるびあ丸でそのお気に入りの場所を探していくのも楽しみだった。

ああ行きたかった。

毎年行って同じようなことをしているように見えるかもしれないが、それなりに毎年新しいコンセプトはあって、今年はこのメンバーとしては初めての2回目の島になるはずだった。そして7年前の思い出の地を探訪するはずだった。

当時の我々は、なんでだかわからないが社会人野球の応援団をやっていて、しかも自分で言うのもなんだがそこそこ上手かったものだから、踊りたくてたまらなくてうずうずしていた。
そこにきて人のいない大自然という絶好のロケーション、ということで式根島のいたるところで応援団の踊りを踊ったりしていたのだった。

きっと今年も同じ場所に行っては踊ってみて「いやこの年ではもう無理だわ」なんて言って笑っていたはずだった。

足付温泉に行って赤茶けたお湯に浸かり海パンを錆色に汚していたはずだった。地鉈温泉に行ってちょうどいい湯加減の潮溜りを探しているはずだった。我々以外誰もいない港で脱いだり飲んだりしながら朝まで記憶にも残らない話をしていたはずだった。

それが。

俺はどこへ行けばいいんだ。島に置いてくるつもりで一年分貯めてきたクソ話はどうすればいいんだ。


そして実際に行くのは

島行きが中止になった数分後、我々は越後湯沢に行くことに決めていた。
あれだけエモい気持ちになっておきながらもこれだけ切り替えが早いのが我々のいいところである。

越後湯沢、先日友人を訪ねて仕事終わりにふらっと訪れたのだが、夕方少し涼しくなってきた頃、人のいない田んぼの間をランニングするのはザ・思い描いた夏という感じで最高だった。そのあと湯沢市内に多くある公衆浴場(当然温泉)で汗を流すのも贅沢だった。東京で暮らすのがバカらしくなるくらいであった。
そしてそのあとの飲み屋。新潟は安い、多い、旨いで最高。新宿とかで飲むのがバカらしくなった。

というわけで豊かな暮らしが越後湯沢にはあるのであった。また行きたい。田んぼの中を走りたい。そのあと温泉に入りたい。旨いメシを食いたい。あと前回はできなかったことで、川に入って遊びたい。川のほとりで飲みたい。ベタに温泉旅館で飲み明かしたい。

楽しみになってきた。今年のクソ話は太平洋に流すのではなく苗場山の麓に埋めてくることにしよう。

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