翻訳についての一考:どこまで分かりにくく訳すか
若竹千佐子作の「 #おらおらでひとりいぐも 」がドイツの文学賞「 #リベラトゥール賞 」を受賞。フランクフルト・ブックフェア(Frankfurter Buchmesse)で明日、10月22日に執り行われる授賞式には、若竹氏も出席されるとのこと(✈飛べるようになった時代の受賞でよかったですね)。ご受賞、おめでとうございます。
あの #東北弁 をどう #ドイツ語 に訳すのかと興味津々で独訳を読みました。しかし、正直なところ、ネイティブでない私には、エルツブルク方言はなかなか手強かったです。また、主人公の桃子さんが語る、土くさく暖かい遠野弁と、東独の寒村の言葉では受ける印象がかなり異なりました。
まあ、エルツブルク方言の響きがもつ文化的な含蓄を読み取るだけの力が私にないだけなのかもしれません。今、住んでいる地域で喋られる低地ドイツ語(プラット / Plattdeutsch)だったら、もう少しピンと来たかもしれません。本書の訳文でもプラットに近い表現だと、なぜか自分のなかにすとんと落ちてきます。
方言と標準語の違いを解説したところは、翻訳者の腕の見せどころ。訳語で「意味」と「音」を合わせるのは、まさに神業です。その手品のような訳文の幾つかを以下にご紹介します。
Kotzen … Koddsn: 「吐(は)き出す」とはいわずに、「吐(ほ)き出す」という
Fersengeld [geben] (das altmodische Wort, das niemand mehr benutz..) …尻っぱしょり(もう誰も使わない古くさい言葉)
Gegessen zu werden veranlassen (Passive, Kausative, Medium)…食べらさる~(受け身使役自発)
ちなみに、同賞の最終候補には、他にも伊藤比呂美作「とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起」と川上未映子作「ヘヴン」も残ったそうです。
「とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起」の#独訳(Dornauszieher: Der fabelhafte Jizo von Sugamo)は通読したことはないのですが、朗読会で耳にする機会がありました。作家が原文を読んだ後に翻訳者が訳文を読むという趣向で、なかなか面白かったです。日地谷=キルシュネライト・イルメラ氏の翻訳(Preis der Leipziger Buchmesse受賞)は素晴らしいのですが、一つだけ不思議に思ったことがあります。
作品のクライマックスに出てくるお経(正信偈)の部分が、日本語では聴いただけでは意味がよく分からないのですが、ドイツ語だと平明で、実によく分かるのです。分からないものを分からないものとして翻訳するには、もしかしらた#ラテン語で翻訳すべきだったのではないか、と思ったりします。
しかし、言うは易し行うは難し。文学の翻訳は偉業だと思います。私のような傍観者の愚痴などを耳にしながらも、日本文学を世界に紹介されている翻訳者の方々に心から敬意を表します。
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