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言葉への意識

最近 自分の弱点に対する周囲の期待 を感じたことがありました。

私は文章を書くことが苦手。
何が起きてどうなったという状態は表現できるのですが、言葉を自由自在に用いて文章で表現することに苦手意識を持っています。

一文を作るのにも、GoogleやchatGPTで調べてどのような表現が良いか、合っているか、似た表現がないか、などの検索ごっこが止められません。

そうこうしていると、あっという間に時間が経ち、少しずつ焦りと失望感に苛まれていきます。

今回の案件は、社員インタビューのライティング。自分の中ではインタビューで得た言葉を形にして、まとめることができた!という達成感と、気に入っていただけるだろうかという不安な状態で提出をしましたが、案の定、「単調なので、ストーリーを感じさせる文体でお願いします」とコメントが。

先方は何かしら自分のセンスを気に入ってくれて、依頼をしてくれたにも関わらず応えることができなかったという失望と反省がありました。(もう少し事前に求められていることを確認するべきだったかもしれないが)

そこで、改めて自分の言葉を再調整。先方からアドバイスもいただけたおかげでしっかり見直しながら取り掛かることができました。

また3名の方に、今回の出来事を聞いてもらい助言もいただきました。そこで特に意識したのはこの3つ。

①「文章のリズム感」

これは「ました。」「ます。」を多用せず、語尾のリズムを大切にすること。

②「文章の謎解きを早めにする」


⇨ 働くイメージが漠然としていた。
⇨ きっかけは〇〇との出会いだった。
⇨ なぜなら・・・
⇨ ゆえに、私にとってXXとは・・・

読者のモヤモヤを早めに解消することで文章を気持ちよく読んでいただける、という流れです。

もう一つは

③「なりきる」

雑誌コラムなどの他の文章をみて取り掛かったところ、そのコラムニストになったかのように書くと、自然と手が動くと感じた瞬間がありました。話し言葉が書き言葉に変換された、そのような感覚がありました。書き言葉は、話すと少し恥ずかしいと感じるようなことが書けるような具合です。少しの勇気が欲しかったのか、私の脳はとても単純です。

(話し言葉と書き言葉は、改めて深掘りたい)

その他
「話すときは子どもも分かるように話すこと」
「詩集を読んでみるといい」
というアドバイスもありました。有難う。

今回の出来事は言葉の意識に触れることができた。

色々触れて感じたことは

最近の私は何かの知識や技術を得るために本(文章)を読む行為をしていましたが 本(文章)を楽しむことをしてみよう ということです。

幼い頃ロアルドダールの本や、カロリーヌ、エルマーのぼうけんを読んでワクワクしたように。

とある方から
「自分の文章に対して弱点があったと受け入れられたことは、のびしろがあるということ」
と背中を押していただきました。

言葉はコミュニケーションをとる大切なツールです。
そんな言葉をもっと活用して、日々を重ねていきたいです。


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